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重工業・造船・航空機スレッド

28とはずがたり:2006/09/15(金) 03:22:52
アメリカに潰された戦後日本の航空機産業ですが。。

日本の翼・YS―11退役:/1 運命共同体 /鹿児島
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060912-00000315-mailo-l46

 ◇「きちんと見送りたい」 ともに引退 機長、整備部長
 タラップを使って乗り込んで来る客の姿が機長席の窓から見える。記念撮影をする姿も珍しくない。古い機体だが、客には不安はなく、何かほほえましい表情が浮かんでいると感じるという。
 「まもなくリタイア(退役)だからでしょうが、乗れて良かったな、という感じ。ジェットに乗り換えようかというのが普通でしょ。やはり、うれしいですね」
 YS―11と共に歩んだ本村栄一機長(64)。相棒が愛される姿を自分のことのように喜ぶ。
 83年、発足した日本エアコミューター(JAC、霧島市)の1期生。全日空時代とあわせ、23年間、YSに搭乗した。総飛行時間2万3000時間を超す大ベテラン。そのうち、約1万6000時間は、YSのコックピットで過ごした。
 12月で65歳。定期路線のパイロット確保のための法改正で「定年」が延長され、飛び続けたが、再延長はない。「YSとほぼ近い、リタイア。『運命共同体』という気持ちです」
  ◇    ◇
 「『YSと共に去りぬ』。非常にいい舞台をセットしてもらった」
 JACの飼沼豊整備部長(59)も、12月に還暦、空から引退する。
 71年、日本国内航空で業界入り。合併などで東亜国内航空(TDA)、日本エアシステム(JAS)と変わったが、ほとんどを大阪・伊丹空港でYS整備で過ごした。当時、最大42機も。伊丹は騒音問題で、ジェット化が遅れたためという。
 伊丹からYSの姿が消え、「寂しいと思っていた」01年、JACに出向。鹿児島での再会は「なつかしい機番(機体番号)がいっぱいあった」。
 JACには、最大12機あったが、順次、退役。「YS―11の日」の11日、奄美大島へのツアーフライトを最後に1機が役目を終えた。残り2機となり、最後の日を迎える。
 「さみしくなったがきちんと見送ってあげたい」
  ◇    ◇
 国産唯一の旅客機YS―11。30日、JACの沖永良部―鹿児島で「ラストフライト」、日本の定期航空路線から姿を消す。共に「退役」する2人に、「日本の翼」の思い出を聞いた。[神崎真一]
9月12日朝刊
(毎日新聞) - 9月12日18時0分更新


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