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古代日本史スレ
114
:
とはずがたり
:2016/06/25(土) 19:51:15
高槻迄行ったら偶々伝能因法師墳
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/jidai/naraheian/1327404300803.html
を見つけて行ってみる。郊外のこんもりとした木立の中の墳墓でなかなか良かった♪百人一首は生駒が舞台であった。斑鳩バイパスの分岐する三室が三室の山なんかな?
【橘】
諸兄
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奈良麻呂
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島田麻呂
├長谷雄
└常主・参議
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(略)
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忠望・近江守
├元愷・肥後守
└永愷(ながやす)能因法師─元任
能因法師
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%BD%E5%9B%A0
能因(のういん、永延2年(988年) - 永承5年(1050年)あるいは康平元年(1058年))は、平安時代中期の僧侶・歌人[1]。俗名は橘永愷(たちばな の ながやす)[1]。法名は初め融因。近江守・橘忠望の子で、兄の肥後守・橘元愷の猶子となった。子に橘元任がいた。中古三十六歌仙の一人[2]。
初め文章生に補されて肥後進士と号したが、長和2年(1013年)、出家した。和歌に堪能で、伊勢姫に私淑し、その旧居を慕って自身の隠棲の地も摂津国古曽部にさだめ[3]、古曽部入道と称した。藤原長能に師事し、歌道師承の初例とする[2]。和歌六人党を指導する一方、大江嘉言・源道済などと交流している。甲斐国や陸奥国などを旅し、多くの和歌作品を残した。
あらし吹く み室の山の もみぢばは 竜田の川の 錦なりけり(69番:「後拾遺集」秋・366)
伊勢姫はwikiではリンクが間違ってて本来はこちら:
伊勢(歌人)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2_(%E6%AD%8C%E4%BA%BA)
伊勢 (いせ、872年(貞観14年)頃 - 938年(天慶元年)頃)は平安時代の日本の女性歌人。。三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。藤原北家真夏流、伊勢守藤原継蔭の娘。伊勢の御(いせのご)、伊勢の御息所とも呼ばれた。
はじめ宇多天皇の中宮温子に女房として仕え、藤原仲平・時平兄弟や平貞文と交際の後、宇多天皇の寵愛を受けその皇子を生んだが早世した。その後は宇多天皇の皇子敦慶親王と結婚して中務を生む。宇多天皇の没後、摂津国嶋上郡古曽部の地に庵を結んで隠棲した[1]。
中務
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%8B%99
中務(狩野安信『三十六歌仙額』)
中務(なかつかさ、912年(延喜12年)頃 - 991年(正暦2年)頃)は、平安時代中期の女流歌人。三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。父は、宇多天皇の皇子敦慶親王で、親王が中務卿であったことから、この名がついている。母は、女流歌人の伊勢。異母兄弟に刑部卿源後古、源方古がいる。
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