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マスコミ

976片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2011/04/27(水) 22:15:15
この文章の当否はともかく、この人が本でも出したら読みたいかも。

発信箱:覚悟バブル=伊藤智永
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/archive/news/20110419ddm004070188000c.html

 先週のこのページに、3人の記者がそろって「覚悟を」と書いていた。かく言う私はその一人だが、刷り上がった紙面を見てそれと気付き、とっさに「何だかうそ臭いな」と恥ずかしくなった。

 気取ってたとえるなら、太宰治の「トカトントン」を聞いた気分か。敗戦後、すべての価値観が覆った虚脱状態で、何かしようとすると、不思議な幻聴が響いて白けてしまう心境を描いた軽妙な短編だ。

 最後に、作家から主人公へ贈った言葉が付いている。「気取った苦悩ですね。いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。真の思想は、叡智(えいち)よりも勇気を必要とするものです」

 震災後の論説は、日本を元気づけようという掛け声にあふれているが、海外にいる身の歯がゆさを押し殺して言う。私は、まだまだ甘っちょろいと思う。

 いい例が、景気や経済を振りかざし、カラ元気を押し売りする手合いだ。流行作家が「こんな時だからこそ、頑張っておいしい物食べに行こう」と書いていた。それで生き方、変わりますか? 正直に「それでも原発と生きる」と言えばいい。

 二言目に、維新や敗戦を持ち出すやからも願い下げだ。本物の革命は、国民の半分が没落して、成る。震災前から震災後へ、皆が自分は生き延びたと高をくくっているうちは、覚悟なんか持てやしまい。

 民主党政権誕生を、当時の首相の軽口に唱和して「革命だ」とはやした人たちが、そのまま復興を語るから、大連立がどうした、首相は代われ、という話になる。東電も保安院も原発も、私たち自身が生み育ててきた、我が身の映し絵である。一度は我が身を滅ぼす「生きよ、堕(お)ちよ」(坂口安吾)の覚悟なしに、戦後復興の再現など望むべくもなかろう。(ジュネーブ支局)

毎日新聞 2011年4月19日 東京朝刊


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