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マスコミ

878杉山真大 ◆mRYEzsNHlY:2010/08/10(火) 21:18:00
【萬物相】朝鮮日報・東亜日報の強制廃刊から70年
http://www.chosunonline.com/news/20100810000066

 1940年8月10日、朝鮮日報社の社内は朝から重々しい沈黙に包まれていた。編集局の記者は、記事を書き終えると頭をうなだれた。工務局の社員は、いつものように素早く新聞を印刷する輪転機をうらめしそうにつかみながら、涙を流した。編集局の壁には、日本列島とサハリン、韓半島(朝鮮半島)全域が日本の領土として赤く塗られた東アジアの地図が、斜めに掛けられていた。朝鮮総督府が、民族メディアの朝鮮日報・東亜日報を強制廃刊した日のことだった。
 「風雨にさらされ20春20秋、麦は朽ち果て芽を出すのであり、この身は死すともそうなるだろう」。今でも本紙1面の左下に毎日掲載されている「八面鋒」は、強制的に筆を折られたが、いずれ必ず復活してみせる、という意志を隠さなかった。1920年3月5日の創刊以来20年にわたって、数え切れないほどの停刊と押収・販売禁止・削除といった紆余曲折を経て、6923号も続いた韓国の新聞だった。またこの日は、先祖代々受け継いできた姓すらも改名するよう日帝が強制した、創氏改名の期限の日でもあった。
 日帝は、1937年に日中戦争を起こし、すべてを戦時総動員体制で運営した。メディアも、軍国主義の銃剣と軍靴の下に置かれたも同然だった。そのため、朝鮮日報と東亜日報が紙面のあちこちに埋め込んだ抵抗と批判の記事は、日帝にとっては目障りだった。1939年の日帝の極秘文書には、「朝鮮統治の基本は朝鮮人の皇国臣民化にあるが、朝鮮日報・東亜日報の存在により阻害されている」と記されており、強制廃刊を暗示した。
 「筆が折られすべてが終わり/口をふさがれた人々が散り散りになったソウルの秋/漢江の水も声を殺して泣き/小さな池には見向きもせず海を目指して流れゆく」。万海・韓竜雲(ハン・ヨンウン)は、本紙が強制廃刊に追いやられた悲しみを詩に託した。韓竜雲は3・1独立宣言書公約三章を書き、民族代表 33人のうち最後まで変節しなかったまれな人物だ。本紙の廃刊と共に、韓竜雲の連載小説『三国志』も、第281回で永遠に打ち切りとなった。
 本紙の記者らが廃刊号を作り終えて、編集局に集まって「最後の写真」を撮ったその日から、今日でちょうど70年になる。トーマス・ジェファーソンは、「新聞のない政府」よりはむしろ「政府のない新聞」を選びたいと語ったが、それからの5年間、韓半島には政府もなければ新聞もなかった。今の民主政府と自由言論は、先人らの苦難が種となり花を咲かせたものであるがゆえに、より一層重みをもって身に迫る。


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