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マスコミ
223
:
杉山真大
◆mRYEzsNHlY
:2006/07/18(火) 23:23:35
文化放送移転、歴史刻んだラジオ時代の「証人」姿消す
http://www.asahi.com/culture/update/0718/018.html
2006年07月18日15時33分
2色のれんがタイルの壁に透かしブロックを使った正面玄関、そして白い塔。文化放送が24日午後1時までの放送を最後に、個性的な姿で半世紀以上親しまれた東京都新宿区の四谷局舎を離れ、港区浜松町に移る。旧局舎は取り壊され、マンションになる予定だ。数々の事件や学園紛争、深夜放送全盛期と、ラジオが元気だった時代の証人が、姿を消す。
「古い建物だからすき間がたくさんあってね。密閉された空間じゃないから、疲れないんだね」
がらんと広い第1スタジオで、司会者のみのもんたさんはこう語った。
みのさんは67年入社。深夜放送「セイ! ヤング」などを担当後、79年に退社したが、今も週1回、生放送のためスタジオ入りしている。
局舎は鉄筋コンクリート造りで6階建て。八つあるスタジオは形も大きさもまちまちだ。第5スタジオの床は上から見ると鍵穴形で、副調整室が中2階にある。
実は、文化放送の母体はカトリック聖パウロ修道会だった。カトリック放送局を目指したが認可が難しく、51年に現在の局舎を建て、翌年、宗教色のない「日本文化放送協会」(56年、文化放送に改組)として放送を開始した。
だから修道会の拠点でもあった。第5スタジオは聖堂を兼ね、副調整室の下は聖歌隊席だった。設計は梓建築事務所の清田文永氏が手がけた。
建築家で東洋大教授の内田祥士(よしお)さんは「昭和初期の様式で、丁寧に作り込まれている。モダンに徹していないところが懐かしく、豊かに感じられます」と話す。
この局舎からの放送は、時代を刻んできた。
やはり67年入社で、深夜放送で親しまれた作家の落合恵子さんはまず、68年10月、新宿で学生と機動隊が衝突した「騒乱罪」事件を思い出す。屋上から新宿方面を見ると「明々とした光と熱気の塊が、迫ってくるようだった」と話す。大事件が起きた時には、局舎全体が明るく息づいているように見えたという。「マスコミの怖いさがでもありますが」
70年11月25日、局舎に近い市谷の陸上自衛隊駐屯地に何者かが乱入したとの一報で、報道部員が駆けつけた。演説が始まったのでマイクを向けると、なんと三島由紀夫。落ちていた木の枝にマイクを縛って掲げ、全演説の録音に成功した。
現局舎は老朽化に加えデジタル化を迫られ、姿を消す。24日午後1時、「吉田照美のやる気MANMAN!」が新局舎からの最初の放送となる。
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