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マスコミ

195杉山真大 ◆mRYEzsNHlY:2006/06/13(火) 23:13:05
アイデアル倒産の件については既に市場・景気スレに投下 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1143711594/117 しましたが、これはCM絡みなので此処へ。

アイデアル秘話である…名作CM偶然の産物だった
http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_06/g2006061309.html

 植木等さん(79)を起用したCM「何である、アイデアル」で一世を風靡(ふうび)した洋傘製造の「アイデアル」(東京都台東区)が自己破産する方針であることが明らかになった。流行語にもなったアイデアル社の傘も近年は安価な傘に押され、売り上げは右肩下がりに…。そんな中、当時のCM仕掛け人が全盛だったかつての同社を振り返った。

 アイデアル社は「丸定商店」として、昭和11年に創業した。戦中は軍需産業に転換を強いられるが、戦後は再び洋傘製造を復活させる。

 当時、開きにくかった折り畳み傘を創業者の故・村田啓一氏が、プロレス中継で見た関節技をヒントに傘骨にスプリングを付けるアイデアを発案。簡単に開ける折り畳み傘を発売し、売り上げを伸ばすが、まだ無名の会社だった。

 「傘がすごく売れて、その分、税金を払うなら広告費に回すことになった。今は15秒のCMが4本入るのが基本(ワンセット)だが、当時は5秒を3本に分ける枠があった」と話すのは、同社のCMを制作した「信和クリエイティブ」の山下鈴雄社長(73)。

 CMが放送されたのは38年9月から40年8月まで。「朝から晩まで『アイデアル』といえば目につくだろう」と、啓一氏の決断で広告料の安い5秒CMが決まった。「当時、シャボン玉ホリデーでヒットして映画にも出演し、これからという植木等さんを起用した」(山下社長)。

 最初のコピーは「傘です。アイデアル」だった。だが、撮影当日になってもシックリこないと感じ、「たまたま日曜だったので会社の人が現場にきていなかった」(同)ことから、昼食がてらコピーを考え直した。その結果、語呂のいい「何である、アイデアル」でCMは完成。アイデアル社へは事後承諾で、名作CMは偶然の産物だったという。

 「『アイデアル』の後に、植木さんが『また言っちゃった』といった、はやり言葉を付けて3カ月ごとに変えていった。そのうちマスコミが注目し、消費者を捕まえた」と語る山下社長。平成2年には立大野球部で長嶋茂雄氏とチームメートだったという2代目、村田政雄社長が「もう一度、テレビでやってくれ」と山下社長に声をかけた。

 そして、植木さんら25年前とまったく同じスタッフでCMは復活。しかし、すでに5秒枠は廃止となり、広告費も高騰。予算を捻出(ねんしゅつ)できない同社は苦肉の策として深夜早朝、民放1局のみでCMを流した。

 最近では安価な外国製の傘の台頭で保有していたビルなどの不動産も売却を迫られ、借入金ばかりが増えていた同社。山下社長は「一時、大ヒットしたメーカーがなくなった。社長はまじめな方だったのに何でそうなったのかわからない」と寂しそうに語った。

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