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マスコミ
161
:
小説吉田学校読者
:2006/04/18(火) 23:08:32
写真は大事である、視覚で訴える記事も大事である。でもこの記事、顔写真礼賛みたいでなんかヤダ。いくら大事でも、「身分証」の写真とかはやめたほうがいいね。
記者スタイル:駆け出し/2 顔写真
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/style/news/20060417ddn010070016000c.html
38歳の男が死んだ。棺(ひつぎ)が運びこまれると、そこかしこで新たな嗚咽(おえつ)がもれた。
厳粛な空気に包まれた家の玄関前で、彼は自分の居場所を求める。しかし、そんなものがあるはずもなく、部外者の彼には与えられた仕事をやり遂げることがすべてだった。
デスクから命じられている。「がん首(顔写真)を集めてもらう。きみの割り当て分は3人だ」
彼は新聞記者の1年生、正確には3カ月生である。東京本社で記者研修を終え、日本海沿いの支局に赴任してきた。事件や事故の少ない穏やかな土地柄だと聞いていたが、漁船を建造している工場でガス爆発事故が起き、7人が死亡した。
親族の人だろうか、30代のかかりと見られる男が玄関に現れた。彼が一歩踏み出すと、男は眉根(まゆね)を寄せ、刺すような視線を押しつけてきた。
故人の写真をくださいとは、とても口に出せたものではない。この場には、顔写真の三文字も、ましてや《がん首》などという業界用語は御法度だと思う。
男が立ち去ってから、背後で女の声がした。
「監督が亡くなって、子どもたちが悲しむよね」「父親以上に厳しく、父親に負けず劣らず選手思いだったんだもの」
彼は振り返って聞いた。「何の監督をしていたのですか」
「サッカーよ」小太りの女性が即答した。「早朝練習をやってくれたんだから」
彼は首を振り下ろした。2人の女性はそそくさと線香のにおう室内に入っていった。
さきほどの男が戻ってきた。彼は一礼して新聞記者だと名乗る。
「少年サッカーの監督として慕われていたそうですが、生前のエピソードを聞かせてほしいです」
男は立ち止まり、彼を一瞥(いちべつ)した。
「おれも練習を手伝った。監督は、サッカーを教えながら、人間として何が大事かを、子どもたちに教えていたんだ」
彼はさらに一歩前に出た。試合に負けたとき監督は子どもたちにどのような話をしていましたか、とたずねる。男はいくぶん目を細めた。彼は、顔写真のことより、亡き監督に興味がわいていた。だから熱心に質問を繰り返した。
そして最後に頼み込んだ。「いまのお話を記事にしたいです。こんな素晴らしい監督がいたと書かせてください」
「そうだな」男は言った。「子どもたちの心に残る記事にしてくれるんだったら」
彼が書いた記事は地域面のトップを飾った。写真の監督はグラウンドで笑っていた。(記者たちの体験談をもとに構成)<広岩近広/写真・幾島健太郎>
毎日新聞 2006年4月17日 大阪朝刊
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