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マスコミ

1194とはずがたり:2016/02/19(金) 10:30:45
沖縄メディアが偏向しているのは確かにあるんだと思う。
メディアも営利企業だから沖縄の人たちに受容出来るような内容になっていると云う面もあろうけど,大戦中に民意を煽ったのもメディアであった。
色々な要素がありながらもそれでもなお本質的な部分に,沖縄がアメリカの植民地であり,過大な負担を押しつけられている沖縄県民の絶望と怒りを軽視してはならないと思う。百田みたいな下品な方法では無いもっと理知的な話し合いが出来ると良いんだけど。。

沖縄メディアに感じた失望と危惧 在沖縄海兵隊元幹部の告白
『オキナワ論―在沖縄海兵隊元幹部の告白―』 ロバート・D・エルドリッヂ 著
http://www.dailyshincho.jp/article/2016/01261100/?all=1

 沖縄のメディアが偏向しているのではないか、という指摘をする人は珍しくない。作家の百田尚樹氏のそうした発言が「問題発言だ」として取り沙汰されたことも記憶に新しいところである。

 そして、昨年まで在沖縄米海兵隊の政治顧問を務めてきた、ロバート・D・エルドリッヂ氏もまた、その偏向問題に大きな危惧を抱いている一人だ。

 エルドリッヂ氏は、これまでにもしばしば「NOKINAWA」(「反対」しか言わない沖縄)のままでいいのか、という問題提起をしてきた。そして今回出版された著書『オキナワ論』の中で、沖縄メディアの問題点を率直に指摘している。(以下、『オキナワ論』より引用)

 ***

■沖縄メディアへの失望と危惧

 2009年に海兵隊に着任する前は、「沖縄がかわいそうだ」「もっと沖縄の声を聞くべきだ」という認識がありました。実際にそうした趣旨の論文を「中央公論」(2001年10月号)や「論座」(2002年9月号)に寄稿したこともあります。

 しかし今では、そういう考えこそが沖縄に「NOKINAWA」、原理主義的でわがままでしかない姿勢を生み出すのではないか、と反省もしています。

 基地のフェンスの内側から初めて反基地運動を見たとき、私は衝撃を受けました。それが「平和」や「反戦」というキレイゴトで括られるような世界ではないことが分かったからです。現在では、反基地運動は利権構造そのものと化していて、「沖縄はかわいそう」と言う人はある意味で利用され、洗脳されているのだと考えています。

 もともと私は学者の頃から琉球新報とも沖縄タイムスとも、非常にいい関係がありました。どちらかと言うと新報とは深いつながりがあって、必要な記事や資料を送ってもらったり、こちらも本や論文を送ったり、幹部の中には家族ぐるみで付き合って一緒に旅行したり、大学に呼んで講演していただいたり、私のゼミ生を沖縄に連れていって意見交換をした方もいます。

 当時から長い間、手間暇をかけて私は県内メディアと米軍の架け橋の役目を果たしてきたつもりです。メディアの質問に米軍側がきちんと答えない時は、よく調べてもらえないか、もっと丁寧に早く答えるべきではないかと進言し、メディアの批判が正しければ、四軍調整官や私のいた部署に対して改善策を講じるように助言もしてきました。学者の時は第三者ですから、かえって報道部から煙たがられていたぐらいだと思います。

 悩ましいのはお互いの見解の溝がなかなか埋まらないことでしたが、それでも仲介者としてできるだけのことをしてきました。しかし、沖縄問題に関わっている人たち、米軍をはじめ日本の政治家、官僚、自衛隊、政策関係者など様々な人たちとの交流が増えるほど、メディアに書かれていることと現実が違うことが見えてきました。

 特に米軍の中で仕事を始めると、「あれ?」という疑問形だったものが、いかにおかしな報道か、これでは左翼や沖縄独立を唱える政党の機関紙みたいで信頼できない、と否定せざるを得なくなっていきます。研究者としては当初はほぼ無条件で信頼していたものが、関わりが深まるにつれて崩れていくのはショックでしたし、他方では、間違った考えを押し付けられる沖縄の人たちこそ気の毒だという思いが強くなりました。


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