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宇宙

881とはずがたり:2016/10/27(木) 00:27:49
津波被害
大川小訴訟、26日判決 学校の予見性争点
http://mainichi.jp/articles/20161025/k00/00m/040/150000c
毎日新聞2016年10月25日 08時10分(最終更新 10月25日 12時00分)

 東日本大震災の津波で児童74人と教職員10人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校を巡り、児童23人の遺族が市と県を相手取り、23億円の損害賠償を求めた訴訟は26日、仙台地裁で判決が言い渡される。学校側が津波襲来を予見できたか、避難行動が適切だったかなどが争点。学校管理下で多くの犠牲者を出した責任を司法がどう判断するか注目される。

<まんがで解説>震災から5年の被災地は…
 市が設置した第三者検証委員会の報告書などによると、2011年3月11日の地震発生後、同小は児童らを約5分で校庭へ避難させた。発生から約50分後に校庭より約6メートル高い北上川の橋のたもとへ移動開始直後、津波にのまれ、その場にいた児童78人のうち74人と、教職員11人のうち10人が犠牲となった。

 遺族側は、大津波警報を防災行政無線が伝えた▽市の広報車が高台避難を呼びかけた▽迎えに行った保護者が、10メートル超の津波が来る恐れがあるとの情報を元に、教員に「山に逃げて」と呼びかけたと証言した--などと指摘。津波襲来は予見できたと主張している。

 一方、市側は、校舎は市のハザードマップの浸水予測区域外にあった▽同小は津波時の避難所に指定されていた▽校舎の建つ釜谷地区には過去数百年間津波の経験がなく、地区住民らも多数犠牲になった--などと反論。津波襲来は予見できなかったとしている。

 また、遺族側は、震災発生後に学校の裏山へ避難すれば全員助かったと主張。同小では07年度に地震発生時の危機管理マニュアルを策定し、10年度には津波の対応も追加されたにもかかわらず、避難先の設定など具体的な対策の検討を怠っていたと指摘した。

 これに対し、市側は裏山は傾斜が急で倒木や山崩れの危険性があり、避難先として選ぶことは不可能だったと主張。マニュアルに問題はなく、教職員は震災当日、訓練に従い避難しており過失はなかったと反論している。

 震災を巡る過去の津波訴訟では、園児5人が死亡した石巻市の私立日和幼稚園の遺族が園側を訴えた訴訟で「情報収集していれば津波に襲われる可能性が予見できた」などとして仙台地裁で勝訴(後に仙台高裁で和解)した。一方、従業員12人が犠牲になった七十七銀行女川支店(宮城県女川町)を巡る訴訟では「屋上を超える津波を予測するのは困難で、屋上への緊急避難は合理性があった」とし、最高裁で遺族側敗訴が確定している。【百武信幸】


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