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宇宙

732とはずがたり:2015/10/06(火) 22:26:46
ニュートリノで二回もノーベル賞獲れるとわ。

【ノーベル物理学賞】「これがニュートリノ振動の証拠です」師弟でつかんだ栄誉 小柴昌俊さんと梶田さん 観測から質量発見まで
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/sankei-wst1510060069.html
20:52産経新聞

 ノーベル物理学賞に輝いた梶田隆章さん(56)は、素粒子ニュートリノの観測で平成14(2002)年に同じ物理学賞を受けた小柴昌俊さん(89)の弟子。日本のお家芸を受け継ぎ、師弟で2度目の栄誉を手にした。

 「これがニュートリノ振動の証拠です」

 10年6月、岐阜県高山市で開かれた国際学会で、東京大宇宙線研究所の助教授だった梶田さんが、観測施設「スーパーカミオカンデ」(同県飛騨市神岡町)の成果を英語で発表すると、各国から集まった300人以上の研究者から大きな拍手が起き、数十秒間も止まなかった。今も語り継がれている素粒子物理学の歴史的なシーンだ。

 振動現象は、それまで質量がないとされてきたニュートリノに、実は質量があったことを意味する。物理学の基本法則を塗り替える大発見は世界的なニュースとなり、翌日には米クリントン大統領(当時)が講演で言及したほどだった。

 研究開始から十数年。堅実に積み重ねた実験結果に自信はあったが、万雷の拍手を前に「ようやく認められた」と、うれしさがこみ上げてきた。

 会場には名誉教授だった恩師の小柴さんもいた。「よかったよ」。終了後、ねぎらいの言葉をかけられ、喜びはさらに増した。

 ◇ 

「空の上の存在」恩師の言葉励みに歩み、ついに並んだ

 梶田さんがニュートリノに出合ったのは昭和56(1981)年。埼玉大を卒業後、東大大学院に進学して小柴研究室の門をたたいた。

 「小柴先生の第一印象は、迫力があって怖かった」。大学院の入学試験は全然できなかったといい、「先生がすくい上げてくれたのでは」と苦笑いする。

 小柴研では当時、スーパーカミオカンデの前身である「カミオカンデ」の建設が計画されていた。「頂点を目指せる現場に来た。世界の最先端で、非常に重要な物理実験ができるんだとわくわくした」

 カミオカンデの観測開始から3年後の61年秋。助手としてデータを解析していた梶田さんは、ある異変に気付いた。大気中で発生したミュー型と呼ばれるニュートリノの観測値が、自分で計算した理論値よりも明らかに少なく、「おやっ」と思った。

 「理由を明らかにしなければ」。計算手法やデータを1年かけて検証し、自分のやり方に間違いがないことを確信して小柴さんに報告すると「面白い結果だ。チェックは十分でしょうね」。63年に論文を投稿したが、原因は振動現象ではない可能性もまだあり、さらに観測が必要だった。

 このころ小柴研では、カミオカンデを10倍以上の規模に巨大化したスーパーカミオカンデの計画が進んでいた。より多くの観測データが得られるため、異変の原因を解明できる可能性がある。梶田さんは現場監督役として建設に携わり、平成8年に施設を完成させた。

 「良い装置ができたので、性能を最大限に引き出そう」。車で20分ほどの自宅から毎日通い、国際チームをまとめながら膨大なデータの解析を続け、10年がかりで異変の正体を突き止めた。

 小柴さんからは「正しい道を見つけ、明確に結果が出る研究をしなさいと教わった」と振り返る。その言葉通りに歩み、「空の上の存在」だった恩師と並ぶ最高の栄誉に輝いた。


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