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宇宙

437とはずがたり:2012/04/23(月) 09:47:04


歴史軽視「地震学の敗北」
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/kansai1326213628956_02/news/20120120-OYT8T00130.htm
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二つの巨大地震による津波に高さ
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/uchu/chikyu/20120120-576300-1-L.jpg

 昨年12月2日、ちょうど400年前に東北を襲った地震を考え直すシンポジウムが、東北大で開かれた。

岩手県山田町の旧家に残る慶長三陸地震の古文書。「大地震三度」「大波」「(死者)八百人余」(傍線部)の記述がある(羽鳥徳太郎さん提供)
 江戸時代初頭の1611年12月2日に起きた「慶長三陸地震」である。

 「東日本大震災に匹敵する大津波は、869年の貞観地震の後にも来ていた」

 岩手中部で20〜25メートル、宮城南部や福島北部でも5〜13メートル。歴史地震学者の羽鳥徳太郎さん(89)が、推定される津波の高さをスクリーンに映すと、市民ら約200人がざわついた。

 「大波、山の如(ごと)く」「引き潮は古木家どもを引き連れ」。古文書は死者3000人以上と伝える。

 一般には知られていない慶長三陸地震だが、「歴史地震学」の研究者は早くから調査に取り組んでいた。

 日本の近代的な地震観測の始まりは約130年前。それ以前に起きた地震の実態を、古文書や石碑、伝承から解き明かす学問だ。

 「慶長の津波は最大級だった」と東京大学地震研究所員だった羽鳥さんが論文で初めて指摘したのは1975年。その後も現地調査を重ねて、津波の規模に修正を加え続けた。

 「慶長津波の再来に注意が必要だ」という声はほかの研究者からも上がったが、地震学界全体の関心は低いままだった。

 「過去からの警鐘が社会に伝わっていれば、危機意識も備えも変わっていたのではないか」。羽鳥さんの無念さは募る。

 歴史地震学の成果はなぜ生かされなかったのか。

 地震研究は、メカニズムを解明する「地震発生物理学」、コンピューターで揺れを予測する「強震動地震学」などが主流だった。

 東北大の松沢暢(とおる)教授は「100年程度のデータから構築した理論で『マグニチュード(M)9はありえない』と思いこんだ。最新の理論や解析を重視するあまり、原点である歴史が二の次になった」と悔いる。

 2006年に国の中央防災会議が公表した想定は、1896年の明治三陸地震(M8・2)の再来を「最大級」とした。被害は全壊家屋9400棟、死者2700人とみていた。

 だが、5年後に起きた東日本大震災はM9・0。全壊13万棟、死者・行方不明2万人と、想定とはけた違いの被害を生んだ。

 慶長三陸地震は「古文書だけではデータが不十分」として想定対象から外されていた。無論、それより以前に起こった貞観地震も対象外となった。橋本学・京都大防災研究所教授は「甘い見積もりに安住した地震学の敗北だ」と自責の念を語る。

 中央防災会議は昨秋の検証報告で「想定の考え方を根本から改める」と出直しを表明した。

 「超巨大地震には、ありとあらゆる手がかりを総動員して立ち向かわなければならない」と、報告をまとめた専門調査会座長の河田恵昭・関西大教授は言う。

 高知県は、古文書や史跡から津波の痕跡を調べ直す事業に乗り出した。


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