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宇宙

338チバQ:2011/03/31(木) 00:02:26
http://www.ibaraki-np.co.jp/news/news.php?f_jun=13013169757367
年3月29日(火)
明確な避難指示 大洗・ひたちなかで津波犠牲者なし


【写真説明】
町役場前まで押し寄せた津波で、車両も流された=11日、大洗町磯浜町(大洗町提供)


東日本大震災で、4メートル以上の津波が押し寄せた大洗町、隣のひたちなか市那珂湊地区では、津波による人的被害はなかった。津波の高さが東北地方沿岸と比べて低かったことや地震発生から第1波到達まで30分あったこと、さらに防災無線や複数の機関による避難指示が明確だったことが相乗効果を生んだようだ。

神磯の鳥居の見える大洗海岸の前に立つ大洗シーサイドホテル3階海側で、今回の津波を体験した同ホテルの社長の石井藤一郎さんによると、神磯一帯は地震発生直前、海水が引いて海底が露出し、カジメと呼ばれる赤い海藻が見えたという。

大洗町災害対策本部によると、大洗の津波第1波は11日午後3時15分。津波の高さは1メートル80センチ。地震発生から約30分後だった。最大の津波4メートル20センチは同4時52分だった。

地震発生時、同町磯浜町の大洗かもめ保育園(江橋喜久雄園長)では120人の園児が午睡の最中だった。直後に、防災無線が「津波です。避難、避難してください」と呼び掛け、間もなく「大津波。避難命令、避難命令」と切迫したアナウンスを繰り返した。

この間、フェリーの津波襲来を知らせる警笛が間断なく鳴った。保母24人が分担して園児を園庭に集合させた。

「職員室に漁業のお宅から『フェリーの津波警笛が鳴っているから逃げろ』の電話が数本あった。子どもたちを乗せた避難車を押して役場まで集団で逃げた。ちょうど福祉バスがあって避難所へ送ってもらった」と主任保母の山本福子さん(55)。

同じ磯浜町の住民は「母親から聞いた50年前のチリ地震の時の津波の話が頭にあった。揺れが尋常じゃなかったので、すぐ津波を心配した。防災無線やフェリーの警笛が役に立った」と話す。

小型船は一斉に沖に避難。フェリーは保安要員約20人を乗せたまま間一髪緊急出港し北海道に向かった。

町職員は手分けして海岸沿いの大型施設に避難連絡に走る余裕があった。小谷隆亮町長は「防災無線、海上保安部、船会社の対応が連携していた」と振り返る。町がハザードマップで想定した範囲の浸水だったのも幸運だった。

一方、那珂川を挟んで対岸のひたちなか市那珂湊地区。津波は漁港ドックの岸壁を乗り越え、岸壁を回り込むようにして押し寄せたという。

防災無線の放送のほかに、街頭に津波避難を呼び掛ける車、パトカーが「3メートルの津波が来る」と拡声器で知らせながら走った。「那珂湊おさかな市場」近くの水産会社社長、礒崎仁孝さん(73)はこれで津波襲来を知った。

町内会の組長の主婦は近所7、8軒に津波を知らせに回ったという。防災無線を聞いて避難した住民も多い。

同市は昨年5月の2日間、那珂湊地区で防災会議を開いた。防災担当の市市民安全課の佐藤和幸課長(60)は「地域に自主避難計画を作ってもらい、いろいろ意見を聞いたのも幸いしたのではないか。その際に50年前のチリ地震津波の話も出た」と、防災意識が高まっていたことも指摘した。


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