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宇宙

331チバQ:2011/03/26(土) 13:47:00
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011032502000192.html
「じいちゃん置いていけねえ」 津波迫る病室 夫婦は残った
2011年3月25日 夕刊

4階まで水に沈んだ志津川病院=24日、宮城県南三陸町で


 「じいちゃんを一人で置いていかれねえ」。病室で寝たきりの夫と、看病していた妻に巨大な津波が迫った。宮城県南三陸町の志津川病院。佐藤いつよさん(81)は「上の階へ逃げよう」という看護師の手を振りほどき、夫の猛さん(91)と三階の病室に残った。まもなく濁流が二人をのみ込んだ。 (森本智之)

 猛さんは十代のころから漁師として海に出ていた。二十七歳で隣町に住むいつよさんと結婚。三陸沖でワカメやアワビを採りながら三男一女を育てた。「とにかく厳しい漁師だった」と長男新悦(しんえつ)さん(60)は振り返る。

 猛さんは三年前、自宅で転倒して脚を悪くした。以来、いつよさんが片時もそばを離れず、食事や排せつの世話をした。もともと内臓に持病のあった猛さん。体調が悪化して入退院を繰り返し、今月一日から再び志津川病院に入院した。

 家族がワカメ漁に追われる中、いつよさんが付ききりで看病し、夜は病室の床にふとんを敷いて眠った。看護助手の西城晃子さん(37)は「私たちが食事を食べさせてあげようとしても、少し口にするだけで『もういらん』と言って、それ以上は絶対に食べない。その横で、おばあちゃんは『私でねえど駄目なんだ』っていっつも笑ってた」と言う。

 十一日の巨大な揺れの直後、町中に防災サイレンが鳴り響いた。病院は五階建て。職員らが屋上への避難を呼び掛けて回ったとき、窓の向こうに、濁流に押しつぶされた家屋が真っすぐ迫っていた。職員らは患者の手を引いたりおんぶしたりして、階段を駆け上がった。

 「三階まで波が来るわけねえ」。避難を呼び掛ける職員の声に、猛さんはこう言って拒んだ。

 女性看護師が「おばあちゃんだけでも」と、いつよさんの手を引っ張って連れ出そうとしたが、動かなかった。「一人で置いていかれねえ」。猛さんのベッドにしがみついた。

 津波が引いた後、病室に二人の姿はなかった。病院は四階まで水に沈んだ。「申し訳ない、申し訳ない」。女性看護師が泣きながら家族にわびた。

 新悦さんは「ばあちゃんは、じいちゃん一人置いてわしらの所に帰れるかって思ったんだ。ばあちゃん、じいちゃんの面倒を見てくれてありがとう」と言って拝むように手を合わせた。

 志津川病院では入院患者百九人のうち、死者・行方不明者は約八十人。猛さんといつよさんの行方も分からないままだ。屋上に避難した約三十人は翌朝、自衛隊のヘリで救助された。


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