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宇宙

325チバQ:2011/03/24(木) 21:56:33
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0003886863.shtml
16年前と同じ「なぜ」 本紙取材班被災地ルポ 


目の前に信じがたい光景があった。津波は町ごと命と営みをさらった=宮城県女川町(撮影・斎藤雅志)
 東日本大震災で、本紙取材班が19日から、巨大津波に襲われた宮城県に入った。想像を絶するすさまじい光景だった。がれきの町で肉親を捜す人々がいた。避難所で身を寄せ合う隣人同士がいた。みな懸命だった。その姿は16年前の阪神・淡路大震災と重なった。


 名取市の避難所で、毛布にくるまった女性に声をかけられた。「今、何時だか分かりますか」。引地由理さん(42)。遺体安置所行きの定時バスがあるのだが、津波に家をさらわれ、時計も携帯電話もない。「困っちゃって」と力なく笑った。

 母は入院中で、70歳の父と2人、海沿いの町に暮らしていた。あの日、父は「俺は近所を見て回る。先に逃げろ」と飛び出していった。それが、最後だった。

 父は無事で、私を捜しているはずだ。いや、やはりだめだろう。胸がねじれる思いで、市役所や遺体安置所に毎日通う。車のガソリンは切れた。

 そばに老犬がいた。父がかわいがっていたという。地震後、この犬が由理さんから離れようとしないこと、地震前日、父の誕生日を2人で祝ったこと…。不安をはき出すように話してくれた。

 「神戸の地震も大変でしたでしょう」。目に涙をためた由理さんが居住まいを正す。「遠くからありがとう。おなかすくから、これ持ってって」。配られたパンとジュースを記者の胸に押しつけた。たまらなかった。

 「どうして、こんな目に」「これから、どうすれば」‐。16年前と同じ涙。果てしなく広がる、こんな惨状を再び目にしようとは。どうして。どうすれば。神戸から、東北から、もう一度問い直したい。

(岸本達也)


■尽きない復興への不安

 何から伝えていいのか。海沿いの家々は基礎だけが残り、流木や流れ着いた船や車が、泥のたまった田んぼに転がっていた。新興住宅地なのか漁村なのか。がれきの中で泥にまみれた茶わんやスナップ写真、参考書などを見つけた時、ここに人々の平穏な暮らしがあったのだと理解できた。

 多数の行方不明者がいる宮城県女川町で、遺体安置所を訪れた男性が取材に応じてくれた。妻と中学3年の娘、義母の安否が分かっていないという。

 娘は19日に卒業式を迎える予定だった。「式までには見つけてあげたかった」と腫らした目から涙が流れた。「晴れ姿は見てみたかったな」。絞り出した言葉に、うなずき、メモを取ることしかできなかった。

 取材ノートをめくっていると、出会った人の顔が浮かぶ。寺に避難し、寒さに震えていた100歳のおばあちゃん。家族の消息が分からず、独りぼっちで避難している女性。市役所に同級生を捜しに来ていた5歳の女の子。船を流された漁業の72歳の男性…。

 記者が阪神・淡路大震災の被災地から来たことを知ると、必ず聞かれることがあった。「何年ぐらいで町、元に戻ったんかね」「みんな戻ってこれたんかね」。皆、復興を強く信じながらも、大きな不安が被災地を包んでいた。

(斉藤絵美)


【特集】東日本大震災

(2011/03/23 11:15


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