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宇宙
132
:
小説吉田学校読者
:2008/07/06(日) 18:23:01
被災を報じる数字の裏に、ひとりひとり、人生があり、出会いがある。
駒の湯での激励胸に 土石流解明へ 茨城大教授
http://www.kahoku.co.jp/news/2008/07/20080706t13020.htm
至る所で地肌がむき出しになっていた。「こんなに崩れているとは」。惨状に息をのんだ。
東北大出身で火山地質学が専門の茨城大理学部教授、藤縄明彦さん(53)。6月末、岩手・宮城内陸地震で起きた栗原市の地滑り現場を調査した。
栗駒山は学生時代からの研究フィールド。火山の成り立ちと構成する岩石の性質を卒論のテーマに選び、4年生の夏はこの山で過ごした。
安く泊まれる宿を探し、出合ったのが中腹の「駒の湯温泉」だった。その旅館が、地震で土石流にのみ込まれた。
5人が死亡し、2人が行方不明に。主人の菅原孝さん(86)は助かったが、おかみのチカ子さん(80)と長男の孝夫さん(58)は命を落とした。
孝さんは併設の小屋をただで使わせてくれた。チカ子さんは従業員と一緒に、「ヒュッテさん」と呼んで温かく接してくれた。おにぎりを持たせてくれたり、スイカを食べにおいでと呼んでくれたり。家族の一員のように過ごした。
孝夫さんとは特に話が弾んだ。いったん駒の湯を離れたが、再び訪れると「弟が帰ってきた」と目尻を下げ、酒を酌んで歓迎してくれた。
卒論の研究は楽しいことばかりではなかった。足場の悪い場所で岩にハンマーを打ち込む作業は危険と隣り合わせ。「孤独な闘いが続き精神的に参った。このままやっていけるか、自問するようになった」
時間の配分を間違え、帰り道でとっぷり日が暮れたこともあった。暗い山道を歩くこと数時間。駒の湯の明かりが見えた途端、張り詰めていた気持ちが緩んだ。
「もう嫌だ」。泣きそうな顔で戻ったはずだが、孝さんは「お、やっと帰ってきたな」とさらりと声を掛けた。心配していた気配を隠し、さりげなく迎えてくれた。思いやりが心に染みた。「ここで投げ出すわけにはいかない」
研究で壁に突き当たったとき、学生に心構えを説くとき、心には栗駒がある。駒の湯の人々の励まし、つらい調査を貫いた自信。その後の人生の支柱となった。
十数年ぶりに訪ねた「研究の原点」。崩れた岩石の種類や崩壊面の形状を調べたが、駒の湯を直撃した土石流現場には入らなかった。「まだ行方不明の人がいる。調査は落ち着いてからでいい」
土石流はなぜ起きたのか。メカニズムの解明に向け、地質学的なデータを提供する。「それが使命であり、自分ができる恩返し」と藤縄さんは考えている。
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