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宇宙

1140とはずがたり:2018/10/09(火) 16:18:02

― 一部には、原子力業界と関係のない科学者についても、少しでも安全寄りな話をするとすぐに“御用”と呼ぶような風潮もありました。

菊池 御用学者という言葉を好んで広範囲に使った人たちやメディアもありました。週プレにも怪しい記事はありましたが、ほかの週刊誌ではもっとひどい記事があった。意見の中身を見ず、その人の社会的立場や結論だけから御用学者と決めつけてしまう。一方で、ものすごくセンセーショナルなことを言う“専門家”をもてはやす。科学者の肩書でも、とんでもないことを言う人がいました。

―同じ“科学者”なのに、言うことが全然違う。一般の人たちは当然混乱してしまいます。

菊池 ひどくおかしなことを言っているなぁとすぐにわかるはずのことも信じられてしまいました。例えば、水素爆発を「核爆発だ」とおっしゃる科学者もいた。でも、原子炉の核反応と核爆弾の核爆発がまったく違うのは科学者なら常識です。そういうでたらめなことを言っている、専門家ともいえない国内外の人たちが混乱を助長した面はあると思います。さすがに今は、ああいう極端な話をする人間は信用しなくていいと気づいた方も多いでしょうが、そういった話をいまだに真に受けている方もおられます。

―一般人にも“科学的思考”が必要ということでしょうか。

菊池 知識は力になります。難しいことはいらないので、基本的なところを少し勉強してみてほしい。放射能のリスクについても、危険か安全かの話の前に、まず放射線とはどういうものかを少し知る。遠回りに感じるかもしれませんが、それが役に立つと思います。自分の感覚的な価値観だけで結論を決めて、「とにかく危険」という話しか耳に入れない人も少なくない。でも、基本的なところを理解すれば、怪しい話かどうかは見分けられるはずです。

それとメディアの報道。両論併記さえすれば、それでバランスが取れると考えるのかもしれませんが、科学的な重みの違いもあわせて書いてほしい。さっきの核爆発にしても、そういう意見を言う自称“専門家”もいるにはいますが、科学的な重みでいえば「99対1」くらいで無意味です。でも、その差を言わなければ「50対50」に見えてしまい、実態とかけ離れた印象を与えてしまう。

中途半端な両論併記は、かえって読者の適切な判断を妨げると思います。

―今の福島の状況についても、本当にいろいろな説が出回っています。

菊池 あれだけの放射能汚染があったわけですからリスクはあります。例えば福島市や郡山(こおりやま)市に住むなら、小さいとはいえ、明らかに放射能によるリスクが増している。ただ、事故から1年以上が経過し、綿密な調査によって、例えば子供たちの内部被曝が当初心配されていたほどではないことなどがわかってきました。

ところが、一方で福島の被害を大きく見せようとする人たちもいる。一部の先鋭化した人たちは今も「子供が住むべき所ではない」と声高に叫んでいます。彼らは正義感でやっているわけですが、だからといって事実ではないことを吹聴するのが許されるとは思えない。危険を強調したほうが人々のためになると言う人もいますが、小さいリスクを「大きい」と叫ぶことの弊害も決して小さくありません。住むか住まないかは各個人の判断を尊重すべきです。


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