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東京都議選スレ

4034穏健保守系無党派:2014/01/11(土) 00:40:01
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140110/elc14011022580001-n1.htm
首相も国会議員も投げだしの過去 細川氏

2014.1.10 22:50 (1/2ページ)[東京都知事選



 細川護煕元首相は過去、旧熊本藩主細川家と五摂家筆頭近衛家の血筋を引く華麗さを背景に「新党ブーム」「政権交代」の火付け役として常に脚光を浴びてきた。その一方で、職を途中で投げ出す癖もあった。

 「60歳を区切りにしようと思ってきた。ここが区切りのつけ時と判断し、辞職を決意した」

 16年前の平成10年4月、民主党結党を見届けた細川氏は突如、任期途中の衆院議員辞職を表明し、政界から身を引いた。

 細川氏の国政入りは、自民党公認で初当選した昭和46年6月の参院選にさかのぼる。当時33歳。だが、自身が政界再編を引き起こす覚悟がすでにあったのか、産経新聞のインタビューにこう答えている。

 「自民党自体も破滅すると思いますね。また破滅したっていいと思うんですよ。自民党が分裂するなら分裂したらいいと思う」

 細川氏は参院議員を2期務め、大蔵政務次官などを歴任。58年に熊本県知事に転じると、2期8年務め、「日本一づくり運動」など斬新な政策で全国的に“ニューリーダー”としての知名度を高めた。

 3選を目指すと思われていたが、「『10年一区切り』を念頭に仕事をやってきた」と不出馬を表明。退任後については「衆院議員とか東京都知事とかの噂があるが、全く白紙の状態」と述べるだけだった。

 だが、退任1年余り後の平成4年、新党の結成構想を発表。これが後の新党ブームのさきがけとなる日本新党となる。

 「私がソロを弾き始めた。次第にそれが大きなオーケストラになる」

 新党結成宣言でこう語った細川氏ら野党は、5年7月の衆院選で自民党を過半数割れに追い込み、8党・会派による非自民連立政権を誕生させた。社会党、新生党、公明党、日本新党などの統一候補として推された細川氏は同年8月、79代首相となった。


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