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東京都議選スレ

2568名無しさん:2011/01/23(日) 11:06:34
http://mytown.asahi.com/tama/news.php?k_id=14000391101200001
合併から10年 西東京市は…


(中)旧2市の融和に時間
2011年01月20日


市庁舎は今も2カ所を利用。田無庁舎(上)には市長室や市議会などがあり、


保谷庁舎(下)には都市整備部、生活文化スポーツ部などが入る=西東京市内

 「保谷と田無では、火事を知らせるサイレンの音が微妙に違ったんですよ」。西東京市消防団長の村田恭男さん(55)は10年前を振り返る。


 現在の消防団は、旧2市の消防団が合併し新市と同時に誕生。当初は旧保谷が9、旧田無が7の計16個分団で282人いたが、2005年に旧市の枠を超えて12個分団へ再編。団員の定数は244人になった。合併前は各市内で火事が起きればそれぞれの全分団が出動した。田無市を保谷市が包み込むような形をしていたため、例えば保谷市の南西端で出火した場合、市北東部の分団は田無市を通り抜けて出動。着いた時には鎮火していたこともあったという。


 現在は出動範囲を分け、通常の火災には周辺4個分団が出動する態勢だ。各団員の出動回数は減り、分団や団員数の減少で市も報酬や補助金を削減できた。合併で効率化が進んだ好例と言われている。


 村田さんは「最初は互いに『あいつ誰だ』という感じだったが、訓練などで仲間意識が生まれた。我々は目的が明確なので、一緒になりやすかったのかも」と話す。


 これと対照的に、新市の市政は、旧保谷市長と旧田無市長を含む4人が立候補して争う市長選で幕を開けた。この時のわだかまりが、保谷と田無の融和に長く影を落としたと言われている。


 例えば市議会。自民党系議員は、市長選でどちらを応援したかによって「自民党」と「自民党西東京市議団」という2会派に分かれていた。「合併」できたのは、07年になってからだ。


 市職員らは「役所内に旧市による派閥はない」と口をそろえるが、人事には配慮の跡がうかがえる。例えば市の中枢を担う総務部長と企画部長は歴代、一方が保谷出身ならもう一方は田無出身。坂口光治市長も「優先順位は高くないが、職員の能力を考慮した上で(旧市への)一定程度の配慮は必要だと思っている」と話す。


 西東京商工会は04年4月に誕生した。合併にあたり、事務所は保谷と田無の両方に残した。初代の会長は田無から選び、法人登記上の所在地は保谷にした。各部会も、部会長が田無なら副部会長は保谷に、と配慮したという。


 1年ほど前からは、事務所を1カ所にまとめようと、「事務所統合委員会」を作って議論が進められている。「両方あれば便利ですが、経費は余計にかかるし、事務効率もよくない。ただ、皆さん総論は賛成でも意見は様々で、なかなか進みません」。3代目会長の村田幸三さん(69)は苦笑した。


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