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東京都議選スレ

2267とはずがたり:2010/01/31(日) 14:07:33
ここかな?

帰島7割どまり、再建に苦闘 三宅島、避難解除5年
http://www.asahi.com/national/update/0131/TKY201001310111.html
2010年1月31日13時15分

写真:00年の噴火の際に発生した火山泥流で、高さ約4メートルある神社の鳥居も埋もれた=東京都三宅村00年の噴火の際に発生した火山泥流で、高さ約4メートルある神社の鳥居も埋もれた=東京都三宅村

写真:「坪田高濃度地区」の砂浜は火山岩で真っ黒。火山ガスで腐食し廃屋同然の建物が点在する=東京都三宅村「坪田高濃度地区」の砂浜は火山岩で真っ黒。火山ガスで腐食し廃屋同然の建物が点在する=東京都三宅村

写真:坪田高濃度地区内には、朽ち果てた家屋が至る所に残っている=東京都三宅村坪田高濃度地区内には、朽ち果てた家屋が至る所に残っている=東京都三宅村

 伊豆諸島・三宅島で、噴火による全島避難が解除になって2月1日で5年を迎える。避難で島を離れた島民は予想したほどは戻らず、期待された観光業も伸び悩む。島民による生活再建の道のりは、依然として険しい。

 火山岩の黒い砂浜に骨組みだけの廃屋。西風が吹くと、火山ガスの硫黄臭が鼻をついた。ガスの濃度が高い島東部の坪田地区は、今も一部は居住禁止になっている。

 東京都三宅村によると、火山ガスの濃度は避難解除の2005年は平均0.12ppmだったが、09年は0.05ppmまで下がった。警報のサイレンが鳴る「5ppm以上」は05年の62回から09年は1回に減った。

 漁師の菊地忠男さん(75)は昨年9月、坪田の村営住宅から同地区内の自宅に移った。「元気なうちに家に戻り、漁をして生計を立てる暮らしに戻りたい。復興のためにもう一旗揚げたい」

 しかし、避難解除1年後の06年1月に2884人まで戻った島民の数が、その後は横ばいだ。昨年末で2855人。噴火前の約75%にとどまる。

 三宅島ふるさと再生ネットワークの佐藤就之会長(74)は「子どもへのガスの影響を心配する若い世代や、避難中に本土で就職した人が帰ってきてくれない」。

 担い手不足の農業や漁業だけでなく、復興の主力と期待された観光業も苦戦している。観光客数は06、07年が各4万1千人前後。08年は4万人を割った。村の復興計画に記された「11年に年間12万人」の達成は難しい。

 08年には羽田空港と島を結ぶ1日1往復の空路が再開したが、火山ガスの影響で就航率は想定の60%を下回る。昨年4〜11月は42%、空港が島東部にあるため西風が吹く冬場は特に厳しく、今年はまだ1往復しか飛んでいない。

 船では東京・竹芝桟橋から7時間弱かかる。「飛行機がちゃんと飛ばないと、客が来てくれない」と、ペンション経営の男性は肩を落とす。

 観光客に代わって宿泊施設を支えるのが、復旧事業に携わる長期滞在者だ。噴火後10年間で国や都は計800億円以上を投じた。道路を直し、島の各所を砂防ダムで固めた。

 その復旧工事も今年度で一段落する。「春からはがくんと工事量が減るだろう。厳しい」(三宅島建設業協会)

 平野祐康村長は1月下旬、漁港や道路の整備を求めて都庁内を回った。「5年で島民の高齢化が進み、島の活力は少しずつ失われている」

 石原慎太郎都知事は29日の記者会見で「悪条件の中、島民が頑張っているのは尊い。できるだけのことをするが、都民は三宅の島民だけじゃない。頭が痛い」と話した。(別宮潤一、須藤龍也)


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