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近現代史綜合スレ

869名無しさん:2016/07/31(日) 19:00:01
>>868

〈甘粕という人はたくさんのカネを持っていたが、使う方もバカ大きくて、そういう意味では、ケタ外れのスケールをもっていましたね。大量の工作資金を必要とするのに、甘粕は決して自分で資金づくりをしない。そのため、随分私どもも甘粕のために資金作りをしたものです〉

当初、甘粕には満州国総務庁の機密費を支出していた。ところが、1937(昭和12)年に大蔵省出身の星野直樹が総務長官になって「機密費の流用はまかりならん」ということになり、甘粕は資金の調達に困ってしまった。そのため甘粕から頼まれた古海が岸に取り次いだ。

「甘粕が困っている。1000万円必要だといっている」

古海が言うと、岸が答えた。

「何か担保はないか」

「鉱山の採掘権を持っている」

「そうか。採掘権さえあれば大丈夫だ。それくらいはたいしたことではない。いままで一度も鮎川から搾ったことがないから、あの男から取ってきてやる」

岸はあっさり資金調達を引き受けた。鮎川とは新興財閥・日産コンツェルンの総帥・鮎川義介(岸の縁戚)のことだ。日産は1937年末、岸らの誘致で本社を満州の新京(現・長春)に移転し、社名を満州重工業開発に変更した。古海が言う。

〈岸さんは鮎川に甘粕の採掘権を一千万円で売りつけたわけです。甘粕は満州建国の功労で関東軍からあちこちの鉱山の採掘権をもらっていたのです。その後、鮎川は岸さんの斡旋で甘粕にカネを出し続けていました〉

額が真実かどうかはともかく岸は膨大なカネを自由に動かしたようだ。『岸信介-権勢の政治家-』(岩波新書)の著者・原彬久東京国際大学名誉教授は〈岸は同僚官吏はもとより、民間人、それもいわゆる満州浪人、無頼漢に至るまで彼のそばに来るものには惜しげもなくカネを与えたといわれる〉と記している。

私が気になるのは、岸の豊富な資金がアヘンの密売によって作られたものだったのかだ。その謎に迫るには、上海の「阿片王」里見甫の証言に耳を傾けなければならない。

『週刊現代』2016年8月6日号より


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