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近現代史綜合スレ
868
:
名無しさん
:2016/07/31(日) 18:59:43
>>867
〈甘粕はまた中国人労働者を満洲に雇い入れる斡旋事業においても、裏金をつくり出していました。岸信介にしても一介の官僚でありながら、甘粕の特務工作に対してその当時の額面で一〇〇〇万円(卸売物価の上昇率からみて現在の八〇億〜九〇億円にも相当します)を手渡したりしています〉
ただし、甘粕はこれらの資金を着服したりはせず、満州国から華北や蒙疆へ日本が進攻していくための特務工作に使用したといわれている。だから〈満洲国はそうした「第二の満洲国」造り工作の策源地であり、資金源であったということになります〉と教授は解説する。
なるほど、そう考えると、関東軍が陸軍中央の統制を無視して暴走を繰り返した理由も分かってくる。彼らは満州でアヘンという打ち出の小づちを手に入れた。だから中央の顔色をうかがう必要がなかったのだ。
それにしても、岸から甘粕に渡されたという1000万円は眉に唾をつけたくなるほど巨額のカネである。ホントだろうか。
山室教授が根拠にしているのは、戦後になってからの古海の証言だ。その全容は『新版 昭和の妖怪 岸信介』(岩見隆夫著・朝日ソノラマ刊)に収録されているのでご紹介しておく。
あの男から取ってきてやる
古海によると、岸が満州国政府の高官だった1930(昭和5)年代後半、岸と甘粕を中心に古海らを加えて約10人が会を作っていた。会の名はなかったが、そこでアジア政策をどうするか、日本での情宣活動はどうあるべきかが話し合われた。
会は単なる懇談に止まらず、具体的な行動もとった。日本内地の新聞の乗っ取りを企てたり、甘粕による排英工作(=英国勢力をアジアから駆逐する謀略工作)を支援したりした。その意味では会というより一派と呼んだほうがふさわしかった。
古海が言う。
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