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近現代史綜合スレ

1とはずがたり:2004/01/15(木) 18:45
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6515/zinbutu.htm
近代史の人物に関するデータベース

http://sound.jp/jyosyuu/gunkayougokaisetu.htm
軍歌用語解説

戦後政治史ファン倶楽部
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/7643/index.html

吸収したスレは>>2-6あたり。

732とはずがたり:2016/02/24(水) 12:45:01
優秀な人間が『老害』になる理由とは?歴史に学ぶ「慢心」
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E5%84%AA%E7%A7%80%E3%81%AA%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%8C%E3%80%8E%E8%80%81%E5%AE%B3%E3%80%8F%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E7%90%86%E7%94%B1%E3%81%A8%E3%81%AF%EF%BC%9F%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%AB%E5%AD%A6%E3%81%B6%E3%80%8C%E6%85%A2%E5%BF%83%E3%80%8D/ar-BBpTDRm#page=2
ダイヤモンド・オンライン
神野正史
1時間前

優秀な人間が『老害』になる理由とは?歴史に学ぶ「慢心」: 「優秀であるがために、老害化する」。そのメカニズムとは?c diamond 「優秀であるがために、老害化する」。そのメカニズムとは?
「優秀な人間ほど、その優秀さゆえに、老害化してしまう」。この歴史的事実をどう思いますか?世界史5000年の歴史から生まれた「15の成功法則」を記した『最強の成功哲学書 世界史』から見ていきましょう。

2つの「顔」を持つ男
 フィリップ・ペタンという人物をご存知でしょうか。彼は第一次世界大戦において、ドイツの猛攻に屈しそうになったフランスをその魔の手から救った「救国の英雄」として、少なくともフランスでは知らぬ者とていない超有名人です。

 そして同時に、第二次世界大戦において、ドイツの侵寇を前にして、あっさり祖国をドイツに売り渡した「売国奴」としても有名です。

 同じひとりの人物なのに、これほど正反対な顔をもつ人も珍しい。第一次大戦後、あれほど国民から喝采を受けた彼が、それから四半世紀後には死刑判決を受けるほど、国民から憎まれるようになってしまったのはなぜでしょうか。

くすぶっていた男が、どんどん出世できた理由
 彼は、第一次世界大戦が勃発したころ、すでに58歳でした。退役寸前であったにもかかわらず、大佐どまりで、決して期待された軍人ではありませんでした。

 それは彼が無能だったからというわけではなく、ちょうど彼が軍人として脂の乗りきったころに大きな戦がなく、その才を発揮する場がなかったためです。フィリップ・ペタンは、その点、時代に恵まれず、ここまでくすぶっていました。

 しかし、ここで第一次世界大戦が勃発。当時のフランス参謀本部の「積極的攻撃論」がことごとく裏目に出、ドイツ軍は破竹の勢いでフランス北東部を次々と占領していきます。祖国はあっという間に存亡の機!

 このとき、「積極的攻撃論」にひとり異を唱えていたペタンに耳目が集まります。

「そういえば、あのペタンという男だけが「攻撃論」に反対していたっけな」

 最初からあの男の作戦を採っていればこんな状態じゃなかったかも。こうして注目を浴びたペタンは、どんどん出世していき、またその期待に応えて戦果を挙げていきます。「陽」が当たるようになった途端、まさに“水を得た魚”。

兵法の「基本精神」とは?
 そんなとき、ドイツ軍によって包囲されていたヴェルダン要塞が陥落寸前になります。ヴェルダンといえば、フランスの都パリの“絶対防衛線”。ここが敵の手に陥ちてしまえば、あとはパリまでドイツ軍を防ぐものは何もありません。ドイツ軍は、何もなき野を往くが如く、パリに迫るでしょう。つまり、ヴェルダンの陥落は即ち、パリの陥落を意味し、そしてそれはフランスの滅亡を意味します。

733とはずがたり:2016/02/24(水) 12:45:11

 そんな状況化で、ペタンが参謀部からヴェルダン総司令官を拝命したとき、彼は自信満々に宣言しています。「決して敵は通しませぬ! ご安心あれ!」

 彼の採用した作戦は「縦深(じゅうしん)陣地戦術」。

 これは彼が編み出したオリジナル新戦法というわけではなく、「マラトンの戦い」や「カンネーの戦い」、はたまた「三帝会戦」などなど、古くから使い古された戦術とその根本に流れる精神は同じものです。

1、まず、わざと敵に弱点をさらし、敵にその弱点を攻撃させ、2、防御地点を突破されても、あまり抵抗せず、むしろわざと兵を退かせる。3、調子に乗った敵軍がさらに押してきても、敵軍の包囲態勢づくりに尽力する。4、敵軍が気付いたときには前後左右からの包囲が完成しており、潰滅する。

 どんなに時代が移り変わり、兵器が近代化し、戦術が変わったように見えても、兵法の基本精神は変わりなく通用するものです。ペタン将軍は、この戦法でついにドイツ軍の猛攻に耐えきり、これを撃退することに成功します。

栄光の落日
 その結果、ドイツ軍はまもなく降伏し、大戦はようやく幕を下ろしました。この八面六臂の活躍により、大戦勃発の時点では「大佐」だった彼は、戦後、陸軍最高位の「元帥」にまで昇り詰めます。

 国民からは「ヴェルダンの英雄」と讃えられ、どこへ行っても喝采を浴び、独身だった彼は、なんと64にして父娘ほど歳の離れた女性(42)と結婚。

 まさに“我が世の春”を謳歌します。もう歳も歳ですし、このまま満ち足りた豊かな老後生活の中で天寿を全うするかに思われました。

 しかし、ここから彼の転落が始まります。

 一線を退いたあとは隠居でもしていればこんなことにはならなかったのでしょうが、その後も「陸軍最高顧問」という肩書を得て、陸軍の方針に口を挟み続けたのが、のちに彼の人生を狂わせます。

同じ相手に、同じ手は通用しない。
 彼は、自分の成功体験から、独仏国境に強大な要塞建設を支持しました。所謂「マジノ線」です。時代は常に進んでおり、特に手痛い敗北を喫した側は、死に物狂いで敗因を研究し尽くし、対策を練るものです。

 今回勝てたからといって、同じ手で同じ相手に臨むならば、必ずや手痛い敗北を喫することになります。勝ったればこそ、より一層研究を尽くして、相手の対策の上を行く戦略をあらかじめ練っておかなければなりません。「勝って兜の緒を締めよ」とはこのことです。ところが、すでに老境に入っていたペタンにはこうしたことがまったく理解できませんでした。

 人間は歳を取れば取るほど、新しいものを受け容れる能力が衰え、過去の古いやり方がそのまま未来にも通用すると思い込んでしまいがちです。それが「老害」です。

 要塞さえあれば、たとえ将来ドイツ軍が津波の如く攻め寄せようとも、縦深陣地戦術で敵を破ることができる!

734とはずがたり:2016/02/24(水) 12:45:31
>>732-734
 同じ手が通用するのは、敵がよほどのマヌケの場合だけです。しかも、要塞というものは、爆撃機が存在しない時代の遺物です。空から雨あられと空襲を受けたのでは、要塞は護り切れるものではありません。ペタンはそうした時代の動きが見えない“老害”そのものとなっていきましたが、イメージ先行の国民はペタンに期待し続けるという悲劇が生まれていました。

そして売国奴へ
 やがて、第二次世界大戦が勃発します。軍事予算の多くを傾けて造りあげたマジノ線は何の役にも立たず、ドイツ軍はあっという間に英仏連合軍を駆逐しながら、首都パリまで快進撃しました。「嗚呼、もう駄目か!? なんのなんの、ドイツ軍など恐るるに足らず!こっちにはまだ『救国の英雄』ペタン将軍がおられるのだ!」

 こうして、英雄(ペタン)が担ぎ出されます。しかし、このときすでに84歳となっていた彼には、ヒトラーと戦う戦術もなく、気力すら残されていませんでした。

 20年前、“救国の英雄”だったペタンは、そのころ名もなき敗軍の伍長にすぎなかったヒトラーの前にあっけなくその膝を突くことになりました。ペタンは戦後、「売国奴」として裁判にかけられたときに述べています。

「ヴェルダンの功によって、私の軍事的精神は鎖されてしまった。戦後、新しい道具、新しい兵器、新しい戦術が次々と発明され、導入されていったにもかかわらず、私はそれに無関心だったのだ」

 彼が19世紀の軍事知識のまま、20世紀の新しい戦争に対応できず、「時代に取り残された」故の悲劇でした。

 しかし、彼の場合、第一次大戦終了時にすでに老齢でしたので、それ自体は責めることは酷かもしれません。

 彼の罪深きは、先進の精神を失ったこと自体ではなく、それを自覚できず、いつまでも新時代に口を挟んだことです。

老いては「子」に従え
 たとえ若いころどんなに優秀だったとしても、人は老いれば、多かれ少なかれ頭が固くなり、時代に取り残され、古いやり方に固執するものです。

 それは、「常に状況の変化に応じて、臨機応変に対応する」ことができなくなることを意味します。

 したがって、彼は事後のことは潔く後進に譲るべきでした。ペタンは、死刑判決を受けたあと、当時の大統領ド・ゴールによって罪一等を減じられ、無期禁固刑に減刑されます。

 そして、死刑判決から5年後。彼は流刑地の孤島で淋しく人生を終えました。享年95。彼が道を踏み誤ることなく、後進に道を譲っていれば、豊かで充実した余生を送り、現在に至るまで「英雄」として讃えられ続けたでしょうに。


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