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近現代史綜合スレ

733とはずがたり:2016/02/24(水) 12:45:11

 そんな状況化で、ペタンが参謀部からヴェルダン総司令官を拝命したとき、彼は自信満々に宣言しています。「決して敵は通しませぬ! ご安心あれ!」

 彼の採用した作戦は「縦深(じゅうしん)陣地戦術」。

 これは彼が編み出したオリジナル新戦法というわけではなく、「マラトンの戦い」や「カンネーの戦い」、はたまた「三帝会戦」などなど、古くから使い古された戦術とその根本に流れる精神は同じものです。

1、まず、わざと敵に弱点をさらし、敵にその弱点を攻撃させ、2、防御地点を突破されても、あまり抵抗せず、むしろわざと兵を退かせる。3、調子に乗った敵軍がさらに押してきても、敵軍の包囲態勢づくりに尽力する。4、敵軍が気付いたときには前後左右からの包囲が完成しており、潰滅する。

 どんなに時代が移り変わり、兵器が近代化し、戦術が変わったように見えても、兵法の基本精神は変わりなく通用するものです。ペタン将軍は、この戦法でついにドイツ軍の猛攻に耐えきり、これを撃退することに成功します。

栄光の落日
 その結果、ドイツ軍はまもなく降伏し、大戦はようやく幕を下ろしました。この八面六臂の活躍により、大戦勃発の時点では「大佐」だった彼は、戦後、陸軍最高位の「元帥」にまで昇り詰めます。

 国民からは「ヴェルダンの英雄」と讃えられ、どこへ行っても喝采を浴び、独身だった彼は、なんと64にして父娘ほど歳の離れた女性(42)と結婚。

 まさに“我が世の春”を謳歌します。もう歳も歳ですし、このまま満ち足りた豊かな老後生活の中で天寿を全うするかに思われました。

 しかし、ここから彼の転落が始まります。

 一線を退いたあとは隠居でもしていればこんなことにはならなかったのでしょうが、その後も「陸軍最高顧問」という肩書を得て、陸軍の方針に口を挟み続けたのが、のちに彼の人生を狂わせます。

同じ相手に、同じ手は通用しない。
 彼は、自分の成功体験から、独仏国境に強大な要塞建設を支持しました。所謂「マジノ線」です。時代は常に進んでおり、特に手痛い敗北を喫した側は、死に物狂いで敗因を研究し尽くし、対策を練るものです。

 今回勝てたからといって、同じ手で同じ相手に臨むならば、必ずや手痛い敗北を喫することになります。勝ったればこそ、より一層研究を尽くして、相手の対策の上を行く戦略をあらかじめ練っておかなければなりません。「勝って兜の緒を締めよ」とはこのことです。ところが、すでに老境に入っていたペタンにはこうしたことがまったく理解できませんでした。

 人間は歳を取れば取るほど、新しいものを受け容れる能力が衰え、過去の古いやり方がそのまま未来にも通用すると思い込んでしまいがちです。それが「老害」です。

 要塞さえあれば、たとえ将来ドイツ軍が津波の如く攻め寄せようとも、縦深陣地戦術で敵を破ることができる!


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