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近現代史綜合スレ

701名無しさん:2015/10/26(月) 22:48:55
>>700

「どのみち誰かがこの役をやるなら、僕が」
 戦争といってもいろんな見方や意見、立場がある。同じ日本軍にも捕虜と一緒に音楽を作ったり、いい関係を作ったりした人たちもいる。その中で、渡辺軍曹がどうであったか。お会いしたことがないので僕たちの描写がすべて正しいとは言えませんが、戦争という、一部を除いて誰も望まない状況の中で、渡辺氏も含め、みんなが葛藤を抱えていたと思う。

 ルーイ自身、本当に苦しい時間を過ごした日本に戻ってきて、地元の人たちや子どもたちと長野五輪の聖火リレーで走り、みんなが笑顔になった。アンジーはこの瞬間にかけて全てを作り上げた。僕もその実際の映像を見て、やる意義があると思った。これを届けるためなら僕は悪役にだってなるし、でもただの悪役ではなく、人間性を含めて演じたいなと思いました。どれだけできるか、不安もありましたが、どのみち誰かがこの役をやるなら、僕が責任をもってやりたいと思いました。

 渡辺謙さんたち日本の俳優を世界に出そうとやってきた奈良橋さんがこの作品に関わっていることも、出演を決めるうえで、すごく大きな判断材料になりました。

「撮影中は、よく瞑想してました」
 撮影中もいろいろ悩みながら、自分なりに、憂いの部分を表情や言葉で出すようにしました。撮影中は、よく瞑想(めいそう)してましたね。

 渡辺氏の手記も読みましたが、彼もお母さんに会いたい気持ちがあった。戦争中も、日本が負けていく中で、恐れがあったと思う。

 ルーイとは米国で会うことができた。渡辺氏と会うことができなかったルーイが、僕と会ってどんな反応をするか、アンジーもプロデューサーもすごくナーバスになっていたんですが、ルーイはほんとに陽気で、一緒に連れて行った僕の娘たちと遊んだりして、チャーミングだった。
 ルーイは「僕は何もいま思っていない。渡辺氏に会いたかったのは、それを伝えたかったためだ。長野五輪の聖火リレーに参加したのもほんとに大事な思い出だ」と話していた。渡辺氏の親族にも伝えてほしい、と言っていた。

 同じ直江津捕虜収容所にいた元米兵にも会いました。彼は戦後、直江津に行っていて、実は日本食が一番好きだそうです。


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