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近現代史綜合スレ

670名無しさん:2015/10/11(日) 12:49:50
>>669

国民の要望に応えようとしたつもりが……
 岸首相の狙いは、もちろん憲法改正と防衛態勢の確立であった。だが、自民党内からも、経済界からも、何と社会党からも不平等な日米安保条約を改正すべしという意見が強く打ち出された。

 1951年9月8日、サンフランシスコで対日講和条約の調印が行われた日の午後、サンフランシスコ郊外の米軍の駐屯地で吉田茂が日米安全保障条約に署名したのだが、この安保条約はいわば米軍による占領の延長で、米軍が、日本のどこにでもどれだけでも望むがままに基地をつくることができて、それでいて日本を守る義務はなく、期限も決まっていなかった。その意味ではきわめて不平等な条約だったのである。

 そこで、実は鳩山内閣時代に、重光外相が安全保障条約の改正を図ったのだが、ダレス国務長官にすげなく扱われて失敗していた。このとき、岸は重光の対米交渉に同席していたのである。

 しかもこのとき、ニューズウィークのハリー・カーンがダレスに「岸こそ現在日本では最も重要な政治家であり、岸と秘密裏に会うべき」だと書き送っている。現にダレスは時間をとって岸と会っていた。

 また、岸から、日本の共産化を防衛するために資金を援助してくれと頼まれて、ダレスは長期間、大量のカネをCIAに用意させていた、ということだ(『絢爛たる醜聞 岸信介伝』工藤美代子 幻冬舎文庫)。

 ようするに岸はダレスに信用され、CIAのカネという尋常でないアメリカとのパイプを有していたことになる。

 岸には重光外相がダレスとの安保交渉に失敗した理由がわかっていた。重光外相は対等条約を望み過ぎたのである。ダレスが意地悪く「アメリカが万一攻撃を受けた場合に、日本は軍隊を国外に派遣して、アメリカを助けてくれるのか」と問うたのに対して、重光外相は答えを持っていなかった。憲法改正を行って、自衛隊を交戦権を有する軍隊にしない限り海外派兵はできない。

 だから、重光外相の交渉に同席したとき、岸は安保条約改正の前に憲法改正が必要だと考えたのである。

 だが自民党内や経済界だけではなく社会党からも不平等条約の改正を求める意見が強まって、岸は考え方を変えた。それに、マッカーサー駐日大使との幾度もの会談で、相当の安保条約改正は可能だとの感触を持っていたのだ。

 だから、岸は、いわば世論の要望に応えるつもりで安保改正に取り組んだのであった。アイゼンハワー大統領訪日の予定も取り付けた。

 そして両方を実現させて国民の支持が高まったところで選挙を行い、3分の2以上の議席を獲得して、念願の憲法改正を行おうとにした。繰り返し記すが、岸にとっては、安保条約改正は国民の要望に応えて支持を盛り上げる手段のつもりだったのである。

 日米安保条約とその改定についてはあらためて記すが、60年の安保条約改定は、岸が予想もしていなかった大騒動となり、岸は日本を戦争に駆り立てる大悪党として集中攻撃された。60年の安保騒動である。

 岸は、自民党の中でも孤立して、結局安保改定と心中するかたちで首相を辞めざるを得なかった。憤死である。そのために念願の憲法改正にも、小選挙区制の導入にも、手をつけることができなかった。

 第8回につづく

田原 総一朗


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