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近現代史綜合スレ
666
:
名無しさん
:2015/10/10(土) 23:33:17
>>665
東京裁判を生き延びる
それでは岸は現在の憲法をどう捉えているのか。
「吾々は先づ第一に吾々国民の自由意思に基く吾々の憲法を持たねばならぬ。憲法は云ふまでもなく独立国の拠って以て立つ根本法である。現行の憲法が占領下に於て時の占領軍の最高司令官から押し付けられたものであり、原文が英語で書かれた翻訳憲法であることは今日では公知の事実である。斯くの如き憲法を持って居る独立国は古今東西に其の例を見ざるところである。
(中略)唯単に憲法九条だけの改正の問題ではない。民族の魂が表現せられた憲法であるべきであって、日本の土と血に繋って居る民主主義を内容とする憲法であるべきものと確信する。祖国を吾々の手に依って防衛すると云ことは独立国として当然の義務であると同時に権利である。他国の軍隊を国内に駐屯せしめて其の力に依って独立を維持するといふが如きことは真の独立国の姿ではない」(岸の後援会誌『風聲』1954年1月号より)
1948(昭和23)年12月23日の午前零時すぎ、東条英機、土肥原賢二、松井石根たちA級戦犯7人の絞首刑が執行された。そしてその翌日、クリスマス・イブの日の朝、岸は児玉誉士夫、笹川良一など他の18人のA級戦犯容疑者とともに巣鴨拘置所から釈放された。
そして追放解除が近づくと、岸は新党を旗揚げして、全国を演説して回る計画を立てていた。それに対して新聞記者が「戦犯容疑者や追放解除者が日本再建の音頭を取るのはおかしいという意見もあるが」と問い質すと岸はひるむことなく答えた。
「私は巣鴨生活で過去のいっさいは清算したつもりだ。自分としては政治の再建に携わる資格はあると思う。東条英機内閣の閣僚だった、軍の手先だったと言われるかもしれない。それはある程度、事実だからやむを得ない。現在の気持ちとしては、元商工相とか翼賛政治会総務とか、そんな過去の経歴にこだわる気持ちは毛頭ない」(『憲法政戦』塩田潮 日本経済新聞出版社)
国民の多くは、戦争の影を引きずり、強いこだわりを抱いていたのだが、開戦と戦争遂行に深くかかわった岸は、過去の清算は終わったと言い切った。
そして52年4月19日に、日本再建連盟を結成し、岸は顧問に就任した。
岸の狙いは吉田政権の打倒であった。
岸にとって、吉田政権とは、GHQが日本弱体化のために日本人の骨抜きを謀るべく押し付けた憲法を押し頂き、誇りも理念もなくひたすら政権の延命だけを図る存在でしかなかった。また戦前派や追放組の中には岸と同じ思いの人間が少なからずいた。
明日公開の後編につづく
田原 総一朗
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