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食品産業総合スレッド

1荷主研究者:2003/12/07(日) 23:52
製粉、飼料、製糖、製菓、製パン、乳業、ビール、清酒、飲料、製油、冷食そして食品添加物等の食品産業の総合スレッド

1717とはずがたり:2016/07/17(日) 13:10:35
伸びる会社(1)
カット野菜で17年連続増収の不思議
読売新聞専門委員 東一眞
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20160712-OYT8T50035.html?from=yhd
2016年07月13日 05時20分

 日本経済が右肩上がりの高度成長時代を知る日本人がだんだん少なくなってきた。しかし、企業単位では、売り上げや利益を継続的に伸ばしたり、新市場を開拓したりと、さまざまな意味で「伸びる会社」は当然ながら今もある。そんな会社の戦略や現状、直面している課題やその克服法などを不定期でとりあげる。

絵に描いたような右肩上がり

 野菜をカットして袋に詰めてスーパーに卸す――。ただ、これだけで、創業以来17年間、一貫して増収を続ける企業がある。その会社は、株式会社サラダクラブ。スーパーでパッケージサラダを購入したことのある人なら、名前を覚えているかもしれない。

 創業初年(1999年11月期)に6100万円だった売上高は、直近の2015年11月期では247億円に達している。右のグラフは、サラダクラブの売上高推移だが、絵に描いたような右肩上がりだ。野菜をカットして袋詰めして売るだけで、なぜこんなことが可能なのだろう?

 そんな興味から、東京都調布市仙川町にあるサラダクラブを訪ねてみた。京王線仙川駅で降りて歩く。京王線の切り通しを渡る橋から、「Kewpie」の赤いロゴと、キユーピーマヨネーズのパッケージのアミ目模様のデザインをあしらった建物が見えてきた。たどり着くと、そこは芝生と樹木に囲まれた「仙川キユーポート」というビル。キユーピーの展示施設や関連会社が入居する。

 実はサラダクラブは、キユーピーが51%、三菱商事が49%の株式を持つ。両社の戦略的な提携から生まれた会社だ。「そもそもの発端は、1980年代からアメリカでパッケージサラダがブームになったことです。これは日本でも売れるだろう、売ろうと考えたわけです」(サラダクラブ商品部次長の日置拡也さん)。

 もちろん、サラダの消費が増えれば、マヨネーズやドレッシングの使用も増える。売り場では、あわせて売っていこうという戦略もあった。

パッケージサラダの挑戦

 サラダクラブは、99年2月24日に誕生した。当時もカット野菜はあるにはあったが、スーパーの野菜売り場の片隅に、肩身が狭そうに並んでいた。鮮度や衛生面でどうかなあ、という印象が筆者にもあった。キユーピーと三菱商事が目指した「パッケージサラダ」は、旧来的なカット野菜とは「似て非なる」ものだった。

 どこが違うのか? まずパッケージサラダは、封を切ったら洗わずにそのまま食べられる。そして価格が一定。例えば、現在、千切りキャベツ(130グラム)は税抜き100円。キャベツの価格が高騰しようが暴落しようが、この値段は変動しない。そして、年間を通した旬の野菜の安定供給も特徴の一つ。つまり、生鮮食品なのに、あたかも「工業製品」のように規格化された商品だ。

 こうしたパッケージサラダを生産するために、まず全国の農協や農業法人と直接契約を結んだ。安定供給のためには、春夏秋冬で産地を切り替える「産地リレー」の体制も整えた。鮮度には最も腐心した。契約先には、収穫した野菜は保冷庫に入れて、工場まで保冷トラックで運んでもらうようにした。

 工場に運ばれた野菜は、低温に保たれた生産ラインで、(1)食用に適さない部分を除去し、(2)食べやすい大きさにカットし、(3)冷水洗浄し、(4)遠心分離機で水分を取り、(5)袋やトレーに詰める――という5段階で加工される。こうして、「コールドチェーン」と呼ばれる、収穫から加工・出荷・店頭まで低温管理体制を築いた。

様々な工夫

 「売り場作り」も工夫した。スーパーの野菜売り場は、いつも同じ棚に同じ野菜が置いてあるわけではない。入荷する野菜の種類と量によって、毎日のように変化している。サラダクラブでは、買い物客が探しやすいように、パッケージサラダをいつも同じ棚に固定的に置くことにこだわった。スーパーに依頼するだけではなく、営業担当者がスーパーに出向き、陳列状況をチェックして回った。

1718とはずがたり:2016/07/17(日) 13:11:00
>>1717-1718
 パッケージの表示も工夫した。原料となる野菜の98%は国産。最初は「国産」とだけ表示していたが、2006年6月からは産地表示を都道府県に切り替えた。輸入素材があれば、その国を記す。

 「表示義務はないのですが、産地を表示することで安心してお求めいただきたいと考えました。『10品目のサラダ』なら、10品目全部の産地を印字するのでスペースをとりますが(笑)」(サラダクラブ商品部広報・広告宣伝チーム 杉本紀子さん)

 こうした地道な工夫でパッケージサラダは少しずつ広がって行った。

 もちろん、1人で住む「単独世帯」や、夫婦共働き世帯がこの時期、右肩上がりで増加したことも幸いした。パッケージサラダを使って、夕食の準備を「時短」したい人々が増えていったのである。例えば、厚生労働省の国民生活基礎調査によると、サラダクラブ設立の99年に、単独世帯は1058万5000世帯だったが、14年には1366万2000世帯に増えた。さらに、総務省の労働力調査などによると、夫婦共働き世帯は99年の929万世帯から14年には1077万世帯に増えている。

天候不順が追い風に

 2012、13年は天候不順で野菜の価格が高騰した時期だ。当時の読売新聞をめくってみると、「野菜高騰」の記事がいくつも見つかる。例えば12年2月9日付の読売新聞中部版では、「このままだと、冷凍野菜やカット野菜に切り替えないといけない」という45歳の主婦のコメントがある。

 コメントにあるとおり、12〜13年の野菜高騰のなかで、パッケージサラダの売上が急伸する。「これまでパッケージサラダを手にとったこともなかった方が購入し始めるようになりました。一度試してみた方がその後リピーターになったと思われます」(キユーピー広報部 岸田香奈子さん)

 12年(11月期、以下同じ)のサラダクラブの売上高は11年に比べて約38億8000万円増加し、13年は12年に比べて約34億4000万円増となった。前年度比の増加幅で、この2年間が過去1、2位だ。天候不順が、パッケージサラダの普及を強力に後押しした。

 ただし、この時期、天候不順のため契約農家などからの出荷が細った。スーパー側に約束していた納入量を確保するために、サラダクラブでは、価格の高い野菜を買い付けた。それを「定価」で売らなければならず、売上高は急伸しても利益的には大変だったようだ。

日産70万〜75万個

 1999年の創業当時は、東京都府中市の中河原工場だけでパッケージサラダを作っていたが、翌2000年には茨城県五霞町と、兵庫県伊丹市に工場を設立。その後も、直営工場を建てたり、委託生産拠点を整備したりして、全国展開を図ってゆく。現在、直営工場6、委託生産拠点11があり、北海道から沖縄までカバーしている。

 最初はカットレタス、千切りキャベツ、大根サラダなど定番の5種類だけだったが、10種類の野菜を使った「10品目のサラダ」やほうれん草を使ったサラダ、あるいはシーザーサラダ、和風サラダなど徐々に品数も増やしてきた。季節ごとに旬の野菜を使ったサラダも発売した。今の時期だと、「玉ねぎサラダ」「たっぷりコーンのカラフルサラダ」などがそれだ。金額は高いものでも税抜きで300円以内にとどめている。

 パッケージサラダが普及するにしたがって、参入企業も増えた。すでにローソンやセブン-イレブンなど大手コンビニも、プライベートブランドでパッケージサラダを販売している。サラダクラブが先導してきた国内パッケージサラダの市場は、2015年には1236億円に成長した。同社の全国シェアは約25%、国内最大手だという。

 「全国17拠点で、一日に70万個から75万個のパッケージサラダを製造・出荷しています」(日置さん)

 ただし、競争も激化している。今年3月から新ラインアップとして「こだわり野菜シリーズ」を打ち出した。青汁として飲まれるケールを取り入れた「ケールサラダ」をナチュラルローソンなどにおろしている。より魅力的なサラダを開発して、競争に勝ち抜きたい考えだ。

2016年07月13日 05時20分


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