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化学・薬品産業総合スレッド

482荷主研究者:2009/10/31(土) 19:26:16
ここからは化学産業スレに貼るかね。

http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?itemid=14817&catid=350
2009年2月6日付 宮崎日日新聞
15…アンモニア合成
■石灰窒素捨てる決意

 世界で初めてアンモニア合成に成功したのは、後にノーベル賞を受賞するドイツの化学者フリッツ・ハーバーであった。

 現在約9兆円(2007年)の売上高を誇る世界屈指の総合化学メーカー・BASFの支援を受けカール・ボッシュとともに研究、1911(明治44)年には合成試験工場を建設し、第一世界大戦が勃発(ぼっぱつ)した14(大正3)年には、ついにアンモニア合成による化学肥料を販売するまでに至った。

 化学工業上、アンモニアは極めて重要な物質だ。化学肥料の原料となるばかりでなく、硝酸を化学変化させることで爆薬を製造することが可能になる。アンモニア合成の成功で同盟国側のドイツ軍部は、当時の火薬原料であったチリ産硝石を輸入調達する必要がなくなり、大戦終結が18年まで長引く遠因になったといわれる。

 逆に連合国側は、火薬原料確保のため合成アンモニアの国産化を国が奨励するようになった。その一つが旭化成の創業者・野口遵が延岡工場に技術導入したイタリアの化学者ルイギ・カザレーが開発したカザレー式アンモニア合成法だったのである。

   □   ■

 1921(大正10)年、洋行先のイタリアでカザレー式の導入を決定する以前から、野口はアンモニア合成に強い関心を寄せていた。

 その7年前に出版した自著「工業上より見たる空中窒素固定法」で、最新情報としてハーバーの合成試験着手を紹介。4種類の窒素固定法のうちアンモニア合成を「航空船」と例える一方で、自らが熊本県水俣市などで工業化していた石灰窒素を「蒸気船」とした上で「不遠(とおからず)将来に於(お)いて石灰窒素を凌駕(りょうが)せんとするの勢(いきおい)を示す」と断じている。

 苦労を経て作り上げた石灰窒素の主力工場である熊本県八代市の鏡工場を、野口は延岡工場建設の3年後にあっさりと見限るが、この著書を書いた時点で既に石灰窒素を捨ててアンモニア合成に転換する決意を固めていたのかもしれない。

 さて、洋行の話である。同年2月にマルセイユへ到着した一行は、14年前に石灰窒素の特許を譲り受けたイタリアへ向かう。その途中に偶然、カザレーの話を聞きつけた。早速、試験合成していた工場へ出掛けるとアンモニアのにおいがぷんぷんしている。野口は「これは出来るに違いない」と直感が働いた。貧弱な装置だったが、思い切って「いちかばちかで」(本人談)買うことに決めた。

【写真】カザレー式アンモニア合成法を発明したルイギ・カザレー。カザレーの工場に出向いた野口はアンモニアのにおいがぷんぷんしているのを肌で感じて「これは出来る」と特許購入を即決した


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