したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

化学・薬品産業総合スレッド

391とはずがたり:2009/03/01(日) 12:44:13
>>390-391
 「国会の爆弾男」の異名で知られる楢崎弥之助代議士(当時社会党)が、69年7月23日の衆議院外務委員会で、ベトナム戦争で大量に散布された枯葉剤を三井化学が製造し輸出していたのではないかという疑惑を追及していた。
 楢崎によれば、三井化学大牟田工業所で67年の終わりに245Tないし245TCP(245Tの原料)を急に生産開始したという。245Tとは、ベトナム戦争で最も大量に散布された枯葉剤の主成分で、24Dとの混合物として利用された物質だ。その製造過程で爆発事故があり、約30人が被災した。その薬剤は市販されておらず、工員はガスマスクをして秘密工場のような状態で操業しているとも彼は指摘している。

 そして楢崎は、67年4月に出た米ビジネス・ウイーク誌が、「米軍がアメリカの生産能力の4倍にも相当する245Tを発注」と報道したことをとりあげ、「発注目的は米軍が枯葉作戦でベトナムに使うためであり、この時期に三井化学大牟田で秘密裏に製造し始めた245Tは当然ベトナム向けではないのか」と政府に詰め寄った。
 楢崎の調査要求に対し、答弁に立った厚生省の官僚は「わかりません」と繰り返し、「調査する」と答弁したが、その後、楢崎に報告されることはなかった。楢崎発言の翌日に三井化学(当時は三井東圧化学)の平山威副社長は通産省、厚生省を訪問後、記者会見し、245Tと245TCPを生産していることを認めた。枯葉作戦への利用については「ベトナムに直接輸出していない」という表現で否定している。

 三井化学大牟田工業所で生産される薬剤を製品化していたのは、三井化学の子会社である三西化学荒木工場だった。62年10月、三西化学荒木工場に、被害住民の要請で厚生省の調査団(上田喜一東京歯科大教授)が入った。ところが調査団は奇妙な事実に突き当たり困惑する。その工場の製品PCPは、本来ならば5塩化フェノールであるはずだった。しかし実際の製品の組成は、不純物である4塩化フェノール(T4PC)が6割も占め、PCPとは呼べない奇妙な組成であったのだ。排気設備の付着物ではさらに4塩化フェノール以外の大量の不純物が認められた。

 あまりの異常さに、上田は組成の特定を保留し、三井化学に対して不純物の少ないPCPの提供を求めているほどだ。調査団は他社のPCPについても分析したが、不純物はほとんど検出されなかった。三井化学だけが、なぜか不純物の方が多い奇妙な組成のPCPを生産していた。当時の製造方法、併産農薬の種類及び不純物組成から類推して主たる生成物は3塩化フェノール、とりわけ245TCPであった可能性を否定できない。

 三西化学荒木工場は60年夏に急遽設立され、農薬取締法も毒劇物取締法も無視して操業を続けた。当然、創業当初から周辺住民の苦情が絶えず、裁判になっている

 枯葉作戦中止間近の70年3月に、三西化学の工場近隣で庭木が枯れる事件があった。工場長代理が長年の被害者宅を訪ねた。彼は緊張した面持ちで話した。
──実は本社命令で東南アジア向けに最も悪質の薬品を再ねりして作っています。もうあと1週間で終わります。次回からは幹部全員土下座しても断ります──
工場長代理が語った東南アジア向けの「最も悪質の薬品」とは何なのか。福岡県衛生部が、71年5月に三西化学に対して245T製造の有無を書面で問い合わせている。ところがその3日後、三西化学は「製造の事実はない」と返答、福岡県も立入調査もなしに調査を終了した。69年夏の楢崎質問の直後に、親会社・三井化学の副社長が245T生産の事実を認めていたにもかかわらず、だ。三西化学は何かを隠している。「最も悪質な薬品」こそ245Tを含む枯葉剤関連薬品ではないか。そう考えれば、三西化学がその製造の事実をひた隠しにした理由も見えてくるではないか。

62年2月に4階建ての工場ができた。保健所の松田技師が構造上の問題を指摘している。

裁判記録には、工場内の悲惨な状況も描写されている。
──工場はですね。もう36年(1961年)頃でしたか。技師の方が朝出勤して、タクシーで運ばれる途中で死んだとか、女工さんたちは、いつも皮膚炎でたまらないとか、袋詰めのところにおると喘息になって困るんだというようなふうで・・・──


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板