[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
化学・薬品産業総合スレッド
1794
:
荷主研究者
:2017/01/03(火) 22:38:17
http://www.kagakukogyonippo.com/headline/2016/12/27-27600.html
2016年12月27日 化学工業日報
【激動の化学産業】 リーダーの証言/日産化学工業 藤本修一郎 前社長 《下》
石化事業撤退により、日産化学は高い評価を受けた。しかし、藤本氏はこう語る。「撤退、イコール評価みたいな感じがあって、ずいぶん褒められた。しかし、私から言わせれば撤退したこと自体が評価されるべきことではなく、撤退した後、価値創造型企業を目指して今日に至る、その軌跡の方が大事だった」。価値創造型企業というコンセプトを打ち出した日産化学だが、なぜ実現できたのか。どのようにして今日の『収益性の高い中堅化学企業』という姿を確立したのだろうか。
2000年に社長に就任し、トップダウンのスピード経営で価値創造型企業・日産化学を実現した藤本氏は語る。「規模の小ささを生かした経営を実践したこと。当社が持つ真面目で風通しのよい企業風土があったこと。そして研究開発に対する経営の理解と投資の継続。この3つの側面がある」。さらに続ける。「中堅企業の強みは何かといえば、小さな組織ならではの早い経営判断だ。また、特化した事業内容も強みだが難しい面がある。特化すればするほど基盤が狭くなる。その事業が将来にわたって優良であるかどうかは分からない。また、新しい果実を生み続けるための技術動向、事業動向の見極めが本当に大切になる。結果的にそれが上手くいったと思っている」。
スピード経営
「組織には、素早く動ける適正な規模というものがある。現場で今、何が起こっているのか実感できる組織が一番良い」。そう語る藤本氏は、経営判断のスピードの重要性を実戦で体感している。「1994年頃、電子材料を担当する常務だった。この頃は、電材は創生期で売上高もまだ少なかった。研究者と韓国や台湾に何度も出張したが、事務屋なので話の詳しい中身は分からない。しかし、この事業のキーワードはスピードだと感覚的に分かった」。帰国した藤本氏は事業部長と相談し、それまでの開発会議を拡大して、年に一度、関係者全員を一堂に集める機会を設置した。「業界動向、開発の方向性、設備投資のタイミングなど、2日間ぐらい合宿して話し合った」。社長になると、経営会議に上がってきた電子材料の案件は即決する体制とした。「これを繰り返しているうちに、顧客から日産化学はやることが早いと評価されるようになった」。
農薬では2002年、モンサント社から除草剤のグローバルブランドであるラウンドアップを買収したが、その決め手もスピードだった。「買収で他社と競り合っていた。交渉窓口は現社長の木下(小次郎)さんだった。ある朝、ハワイで交渉していた木下さんから、メラミンの仕事でオランダにいた社長の私に電話があった。藤本さん、あと1000万ドルです。もうこれで決着させますと。その電話で即決した。競合会社は、1000万ドルを上乗せするのに内部の会議が必要だった」。社長と担当部長の2人で買収案件を即断できたのは、「日頃のコミュニケーション、目配りが十分できていたからだ。規模の小ささを生かした組織の強みがここにある。私はこの規模の小ささを楽しんで経営して来たように思う」。
研究開発への理解
石化事業から撤退した日産化学は、各時代に全社の収益を支える事業が登場した。90年代は奇跡の3剤と呼ばれる「タルガ(除草剤)」「シリウス(除草剤」「サンマイト(殺ダニ剤)」を中心とする新規農薬が全社を牽引した。次に2000年代になると、ポリイミド樹脂を用いた液晶表示装置(LCD)用の配向膜「サンエバー」がTFT液晶向けに大きなシェアを獲得するなど、電子材料が収益を支えた。そして近年は高コレステロール血症治療薬「リバロ」などの医薬品が花開くことで、高収益企業にさらに厚みが加わった。
「当社は、会社が苦しい時期でも研究開発に精いっぱいの資源を投じていた」。農薬は戦後間もない頃から新薬の探索を続け、1970年代、80年代には電子材料や医薬の探索を始めていた。「世の中が石化一色の時代に、新規事業を生み出そうと奮闘する人たちがいた。医薬の場合、利益が出るようになったのは最近だが、最初の探索チームが発足したのは?年。たった4人でのスタートだった」。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板