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化学・薬品産業総合スレッド

1539荷主研究者:2015/09/13(日) 12:33:36

http://www.kagakukogyonippo.com/headline/2015/08/25-21529.html
2015年08月25日 化学工業日報
「東ソー 飛躍の軌跡」(上) 高収益企業への挑戦

 東ソーが化学業界屈指の高収益型企業へ脱皮しつつある。規模拡大や多角化経営の失敗のつけを払わされた1990年代の不遇を乗り越え、バランスシートは総合化学のでも極めて優良。ファインスペシャリティ事業が収穫時期を迎え、来期からは30年ぶりに中期経営計画を始動させる。東ソーはどう変わったのか。ここからどのような成長軌道を描くのか。
(但田洋平)
     ◇
※過去最高益を更新※
 東ソーの業績が好調だ。2016年3月期の業績は売上高8100億円、営業利益670億円、経常利益670億円と過去最高を更新する見込み。純利益も前期の623億円が日本ポリウレタン工業の吸収合併による特殊要因だとしても、430億円は実質過去最高値。売上高営業利益率は8・3%、自己資本利益率(ROE)は15%台に達する。

 「90年代のガタガタの業績と比べ、収益構造は飛躍的に改善した」。同社を10年以上ウォッチしてきたバークレイズ証券の山田幹也株式調査部マネージングディレクターは財務指標を眺めてそう評価する。「東ソーといえば電解のイメージが強いが、いまは南陽の巨大なインフラの上に成長性の高い機能商品が乗っかることでバランスのとれたポートフォリオが築かれている」。

※積極的失敗は責めず※
 東ソーは20年かけてバランスシートの健全化に成功した。バブル崩壊後の失われた20年は、同社にとってもまさに苦難の時期。「あと1、2年赤字が続いたら会社はつぶれると本気で考えていた」。3期続けての赤字と大規模リストラを経験した90年代前半を振り返って、宇田川憲一社長は表情を曇らせた。

 つまずきのきっかけは85年度に始動させた中計の失敗。当時は米国流のコーポレート・アイデンティティが花盛り。第2次石油危機を乗り越え、多くの化学企業が成長を目指す計画を競って打ち上げた。イラン石油化学プロジェクト(IJPC)の挫折で1000億円近い損失を被り、75年の鉄興社との合併で企業体質が水膨れしていた東ソーも、過去10年の低成長から脱して規模拡大と多角化を目指す好機と映っていた。

 中計では売上高を90年度までに4500億円へ倍増させ、ファイン・スペシャリティの売上比率を3割から6割に引き上げる目標が掲げられた。合併以来減らしてきた従業員数を2000人増やし、3000億円の投資枠も設定された。

 「エレクトロニクス」「セラミック」「バイオ」の"3種の神器"。成長分野と位置付けられたスペシャリティは社内でそう謳われ、ハードディスクや大規模集積回路(LSI)など知見のない事業にも手を出した。多角化を追求する動きは他社も同様だが、「人と金さえかければ上手くいく」雰囲気が社内に満ちていた。積極的な挑戦の結果の失敗は責めないが、消極的発想による機会損失には厳しく対処する。当時はそんな考えが強く支持された。

※積み上がった固定費※
 だが、中計はすぐに後退を余儀なくされる。初年度に1ドル245円だった為替、1キログラム当たり4・5万円だったナフサ価格は87年度上期にそれぞれ145円、2万円に下がり、石化製品の価格が暴落。不得手なエレクトロニクスの収益も急速に悪化していった。バブル経済に支えられて当初は持ちこたえたが、最終年度の89年に積み上がったのは400億円余りの固定費だけだった。

 他の総合化学メーカーも収益が落ち込んだ時期だが、東ソーの営業利益は総合化学7社平均の半分にも満たず、90年代前半は大幅な赤字に見舞われた。「もちろん全てが無駄だったわけではない。ただ、地に足のつかない事業はいくら人や金を投じても結果はともなわない。それを痛感させられた時期だった」(宇田川社長)。


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