したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

化学・薬品産業総合スレッド

1432荷主研究者:2014/12/31(水) 15:21:39

http://toyokeizai.net/articles/-/56784
2014年12月26日 東洋経済
三菱ケミカルの哲人経営者が退任する意味
同友会人事で早まった小林喜光社長の退任

山内 哲夫 :東洋経済 編集局記者

2015年4月に退任が決まった小林喜光社長(左)と、社長に就任予定の越智仁氏(右)(撮影:梅谷秀司)

 三菱ケミカルホールディングスの名物経営者だった小林喜光社長の退任が決まった。後任社長には、三菱レイヨンの越智仁社長の就任が発表された。

 理論派で鳴らし、「哲人経営者」とも呼ばれた小林氏は2015年4月の経済同友会代表幹事への就任が内定しているが、すでに引っ張りだこの状態だった。2007年から三菱ケミカルホールディングスの社長の座にあったが、2011年に同友会の副代表幹事に就任し、2012年には東京電力とジャパンディスプレイの社外取締役に就き、2013年1月から2014年9月まで東芝の佐々木則夫社長(当時)とともに経済財政諮問会議のメンバー入り。以降も産業競争力会議のメンバーは続けている。また、2014年5月から日本化学工業協会の会長にも就いていた。

財界の名物経営者の退任

 このことから、12月初めの小社単独取材に対しても「いずれ整理しなければいけない。時間的にもう全部はやれないでしょう」と限界をほのめかしていた。社長を退任し会長に就くのは2015年4月。同友会代表幹事就任と同時の就任となる。

 今回、越智氏にホールディングス社長就任を依頼したのは12月5日だという。3〜4年前から後任を考え始め、いろんな人が候補に挙がっては消えたが、最終的に決めたのは、バランス感覚があり、手堅い仕事をする点を評価した越智氏。タイミングは「代表幹事を受ける覚悟をしたとき」(小林社長)だった。現行の経営計画が2015年度までで、新中計策定のタイミングにも来ており、「新しい経営計画は構想段階から新しいリーダーのもとでつくるのが望ましい」という判断もあった。「非常にドライに人事通知のように言われた」とは越智氏。レイヨン社長就任時に続く、2度目のサプライズ依頼だった。

 小林社長の改革で有名なのは2011年末に発表されたグループ会社社長のシャッフル人事。三菱ケミカルホールディングスには、三菱化学と三菱樹脂、田辺三菱製薬、それに2010年から三菱レイヨンが傘下入りしているが、この統合を加速するために取った策が、三菱レイヨン生え抜きの姥貝卓美専務が三菱樹脂社長に就き、三菱レイヨン社長に就いたのが、三菱化学で経営戦略担当役員だった越智氏だったのだ。

 越智氏は1977年に三菱化成工業(現三菱化学)に入社し、黒崎工場のアンモニア課に配属され、20年間にわたり肥料、無機事業を担当した経歴を持つ。その後、1997年に半導体製造向けの高純度薬品工場の立ち上げのため、米国テキサス州で勤務する。ここでサムソン向けの取引を開拓したことで頭角を現し、2000年からは古巣に戻り構造改革を実施。2005年からその関連事業である日本化成の役員に就いていた。三菱化学に戻ったのは2007年。三菱ケミカルホールディングスの経営戦略担当役員にも就いて、小林社長の下で三菱レイヨンのグループ化に尽力した経緯もあった。

 2012年に三菱レイヨン社長に就任したときは繊維事業の経験がなかっただけに不安もあったようだが、炭素繊維の川中、川下戦略で実績を出す。M&Aも駆使して自動車部品にも挑戦。炭素繊維強化プラスチック製トランクリッドが日産GT-Rに採用されるなど、自動車向けで実績を積み上げた。

 世界トップシェアを誇り、中長期で見た戦略事業であるMMA(メタクリル酸メチル)の拡大も推進した。三菱レイヨンは買収により低コストなガス由来の原料であるエタンを効率的に使用できるアルファ法という製造技術を保有しており、この工場をサウジアラビアに建設しようという計画だ。2014年6月には合弁設立とプラント工事の発注にまでこぎつけている。特許も保有する競争力抜群の製造方法を、世界最低コストを誇るサウジのエタンを使用し、2017年にも営業開始を目指している。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板