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民主党スレッド
7779
:
チバQ
:2011/03/27(日) 21:15:49
× × ×
宮城県石巻市が地元の民主党の安住淳国対委員長(49)=宮城5区=は大震災の瞬間、国会運営の仕切り役として国会内の自室を陣取っていた。
「国会審議は止めるぞ! 菅直人首相には官邸に帰ってもらえ!」。矢継ぎ早に指示を出しながらテレビ画面を見ると「震源地は東北」と報じていた。慌てて携帯電話を鳴らした。
「つながらねぇ…。うちの両親は生きているんだろうなぁ…」
両親が自宅近くの小学校に避難しているとの情報が知人から入ったのは震災から5日後。18日夕、震災後初めて地元に帰り避難所で両親と再会した。
父の重彦さん(84)は教室の奥で布団にくるまり、疲れた表情で寝息を立てていた。
「母ちゃん。生きていたか…」
母、慶子さん(77)の背中に声をかけると慶子さんは無言でうなずいた。まだ何人かの親類は行方不明のままだ。
街は一変していた。支持者宅、お気に入りの理髪店、レストラン…。すべて跡形もなく消えていた。
「現実とは思えなかった。写真で見た東京大空襲や広島の原爆の写真。それとそのまま同じ風景がそこにあった」
26、27日と再び宮城県に戻り、被災地のニーズを聞いて回ったが、年度末を控え国会運営はいよいよヤマ場。地元に帰りたくても帰れない。
「石巻は千年以上、魚を取って生きてきた豊かな地域だ。必ず立ち直る。いや立ち直らせる」
× × ×
「とにかく生きていて!」。宮城県出身の自民党の高階(たかがい)恵美子参院議員(47)=比例代表=は震災時、仙台市に残した母、勲子さん(74)ら家族、知人の顔が目に浮かんだ。家族の無事を確認できたのは4日後だった。
はやる気持ちを抑え、ようやく宮城県に入ったのは26日。看護用器具を詰め込んだバッグを持ち込んで避難所を回ったが、震災から2週間がたち被災者たちは疲れの色が濃く、体調を崩している人も多い。
被災した郷里を見て、未曽有の国難に何をなすべきかを自問自答した。
「思い出も財産も絆もある郷里を次の世代に引き継がなくてはいけない。もう一度、郷里を作り上げていくための後方支援をする。それが政治の役目だ」
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