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民主党スレッド

566無党派さん </b><font color=#FF0000>(/3J5SzQQ)</font><b>:2004/06/20(日) 22:49
岩手の政脈第1部小沢一郎編④
http://mytown.asahi.com/iwate/news02.asp?kiji=5763
  98年11月19日。小沢一郎は官邸を訪れ、首相小渕恵三と握手を交わし、自自連立に向けた合意書に署名した。一度は袂(たもと)を分かった二つの党が、5年半ぶりに協力。小沢は羽田内閣総辞職以来、4年半ぶりの与党復帰にこぎ着けた−−。

  1期目が終わりに近づいた知事増田寛也は、共産を除く各党に推薦を求めようとしていた。

  自自連立に動いた小沢と、両党から推薦をもらおうとする増田は、「相似形」と評された。だが、小沢と増田の「距離」は広がるばかりだった。

  自民党県連会長の玉沢徳一郎は、翌年の県議選で各選挙区が自自対決の様相を呈す県内事情を踏まえ、連立に反対する要望書を小渕に送った。そして増田にも「一党一派にとらわれず公平な県政運営を」とクギを刺した。

  「小沢先生ご本人と距離を置く考えはなかったが、周りとはギクシャクした。どこにでもドロドロした人間関係や、ある種の権力闘争はある」と増田はいう。

  99年4月の知事選で増田は、共産党候補を退け圧勝したが、自由党は伸び悩み、議長を自民党に明け渡す。その小沢は、00年4月には連立を離脱。与党残留を目指す野田毅らが保守党をつくり、自由党は再び分裂する。

  中央での権力闘争のたびに、所属議員が減り続けた自由党。96年総選挙初当選組の達増拓也ら「小沢チルドレン」が求心力を高める一方、地元で小沢を支えてきた人物が、相次いで党を離れ始めた。

  経済界では、自民に除名された建設業協会長望月茂、増田の後援会や小沢支援組織「欅(けやき)の会」会長を務める高塚猛が、相次いで除名を解除された。

  長年小沢と寄り添った3区の衆院議員佐々木洋平は、00年総選挙でいったんは公認を受けた。しかし、比例区の衆院議員菅原喜重郎が名乗りを上げ、候補者選びがもつれた。小沢は、県議の黄川田徹擁立を決め、菅原を比例東北ブロック3位で処遇。佐々木は、事実上「更迭」された。

  「独裁で、ローカルパーティーと化した嫌な党になっていた」と振り返る佐々木は離党し、保守党公認で出馬を強行する。


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