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民主党スレッド

3821とはずがたり:2008/09/04(木) 13:39:53

花斉会は(旧)熊谷派なんか!?

野田佳彦氏出馬断念の陰に小沢一郎民主代表の「天敵」
2008年8月28日 週刊文春
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20080828-01-0702.html

 民主党代表選挙は前回に続き、小沢一郎代表の無投票当選が濃厚になってきた。当初は「国民に民主党をアピールする絶好の機会だ」(渡部恒三最高顧問)と複数候補による選挙戦を望む声が少なくなかったが、すでに出馬見送りを表明していた岡田克也元代表に続き、八月二十二日に野田佳彦元国対委員長も立候補を断念したからだ。
 野田氏は八月十九日から二十二日にかけて、自身の政策グループ「花斉会」メンバーを都内に集め、「このままでは無投票になってしまう。小沢代表を相手に堂々と政策論争を戦わせてみたい」と協力を求めていた。馬淵澄夫衆院議員らは「我々は野田政権を目指すグループ。衆院選の前だからこそ戦うべきだ」と主戦論を展開したが、松本剛明前政調会長ら慎重派は「そんな環境ではない」と譲らず、結局、出馬断念に至った。
 出馬すれば、会のメンバーや、野田氏に近い浪人、新人も公認を取り消されかねない――。野田氏と主戦論者の決心をぐらつかせた殺し文句はこれだったという。小沢氏から見れば「若造」のはずの野田氏出馬が、なぜそこまで小沢氏を刺激すると、慎重派は考えたのか。その裏にはある人物の存在がある。
 かつて小沢氏の側近中の側近として知られ、最後は反小沢の急先鋒に転じた熊谷弘元衆院議員がその人だ。通産官僚出身で口八丁手八丁の熊谷氏の手腕を高く買い、小沢氏は細川政権の通産相、羽田政権の官房長官に熊谷氏を押し込んだ。だが羽田政権崩壊を境に熊谷氏は「小沢氏の独断専行にはついて行けない」と決別し、小沢氏はそんな熊谷氏を「恩知らずの裏切り者」と目の敵にした。今でも、名前を聞くと途端に不機嫌になると言われるほどだ。
 その熊谷氏が民主党時代、将来を嘱望し目を掛けたのが野田氏だった。野田氏が二〇〇二年の代表選に出馬した際も地元・静岡の党員・サポーター票をまとめるなど全面支援。野田氏も恩義に応え熊谷氏に尽くしてきた。その象徴が、いつも影のように付き従う第一秘書の日高辰也氏である。熊谷陣営の選挙違反事件に連座し永田町を離れていた失意の日高氏を呼び寄せ、片腕にしたのだ。
「情に厚い」「面倒見がいい」との野田評を裏付けるエピソードだが、坊主憎けりゃ何とかで、野田氏が出馬すれば「後ろで糸を引いているのは熊谷か」と小沢氏が激高するのは必至と、慎重派はみたのである。


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