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民主党スレッド
3485
:
小説吉田学校読者
:2008/01/13(日) 07:03:05
最後の「野党議員にとって〜」のところは、薬害HIVの質問のことが頭にあったのだろうか。
与党だったら「政策立案」とか言っていたんだろうな。「与党の」政調会長をやらせたかった。通常国会「ねじれ」の参院は、山本氏に対する追悼演説から始まる。合掌。
気力絞った闘病議員 山本孝史さん、大阪で告別式
http://www.asahi.com/politics/update/0112/TKY200801120177.html
参院議員として、がんであることを公表した山本孝史さんが昨年12月22日に58歳で亡くなった。入院中も議員としての発言を続けた山本さんは、病室で「がん患者の生々しい実態を伝えるためにも患者自身が国会にいなければいけない」と話していた。告別式は12日午後1時から、大阪市内で行われた。
半年前の6月、私は参院厚生労働委員会で質問する山本さんを写真記者として撮影した。やせ衰えてはいたが、全身から発せられる言葉には、がん公表から1年がたっているとは思えないほどの力強さがあった。
妻のゆきさんの看病を受けながら、治療を続けたが、徐々に普通の生活を続けることが困難になっていった。病床では重たいせきが止まらず苦しそうに病と闘っていた。
ホームページでは薬害C型肝炎問題や生活保護行政、福田首相と小沢民主党代表の「大連立」にも触れていた。
「野党議員にとっては質問することが大きな仕事。答弁者を一言で打ちのめすことを考えているんです」。そう語っていた山本さんの姿はもう見られなくなった。
(写真と文 鬼室黎)
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