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自公保観察スレ

518とはずがたり(1/2):2004/07/13(火) 18:08
『日本一』富山・利賀村 最後の選挙
自民『聖地』投票率95% 得票率は88%
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040712/mng_____tokuho__000.shtml

 合掌造りの民家で知られる富山県・五箇山の利賀(とが)村には二つの「日本一」がある。九割以上の高い投票率と、それを支える「自民党組織率」だ。有権者の五割以上が党員だという。秋に町村合併を控え、村としては最後の国政選挙となった今回の参院選でも95・31%の投票率を記録した。日本の「原風景」とたとえられる山村の選挙を歩いた。 (中山洋子)

■民主躍進 どこ吹く風

 小雨が降る十一日朝、山に囲まれた小学校の旧校舎に設けられた投票所に、ポツポツと村民が集う。雨音にセミの声が混じる。どこより選挙に熱心な村は静けさの中で投票日を迎えた。

 投票を済ませた主婦(53)に声をかけると、こんな言葉が返ってきた。「生活がかかっているから、(投票は)当たり前や」

 今回、七百六十七人の有権者のうち、棄権はわずかに三十六人。富山選挙区で初当選を果たした自民の河合常則氏は、村で88%の得票率を獲得した。

 村は国政選挙のたびごとに「日本一」の投票率が注目を集めている。

 昨秋の衆院選でも投票率は96・24%(全国平均59・86%)と高く、このうち94%にあたる六百八十一人の村民が、小選挙区で綿貫民輔衆院議員に投じた。

 今回、現職を擁した民主党は選挙期間中に「利賀だけはまわっていない」とこぼした。「他とほとんど隔絶された地域で、地元の結束は強い。攻め込みようがないんです」と嘆息する。

 「隔絶」と「結束」。そんな利賀村の土地柄を象徴するのが県北部の山間にある「安政義人」を祭った慰霊碑だ。富山県で大正時代の米騒動は有名だが、江戸末期の安政五年(一八五八年)にも米騒動が起きている。その首謀者として処刑されたのが、この安政義人こと「茂右衛門」だ。

 その子孫で、村内で民宿を営む斉藤秀信さん(59)は「雪に閉ざされた貧しい山村で、せっぱ詰まった村民たちが、隣接するまちの米屋を襲った」と説明する。

 「お上に逆らった“罪人”だけに、長い間、おおっぴらに語られることはなかったが、戦後になって、村の有志の方々が碑を建立して祭ってくれました」

 斉藤さんは「今も仕事は土木工事くらいしかなく、中央の金を引かんと村は成り立たない。高い投票率も、勤勉さと、生き残るために必死な土地柄だからでしょう」と話した。

■省庁でも評判、陳情を後押し

 「中央の金を…」という思いが、山村を自民党の“聖地”にしたといえる。

 一九九五年には投票率日本一の評判を聞いた故竹下登元首相らも村を訪れている。村内の民宿に泊まった元首相らを、村民らは日の丸とともに自民党旗を振って歓迎したという。


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