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自公保観察スレ

1とはずがたり:2003/10/25(土) 00:05
自民党
http://www.jimin.jp/
公明党
http://www.komei.or.jp/
保守新党
http://www.hoshushintoh.com/

4224とはずがたり:2008/08/28(木) 02:34:16
改造直後の記事だが。

>>4191-4192 >>4199 >>4203

【薄氷の再出発】(上) 粘り腰の麻生説得 総務会長ポストで玉突き混乱
2008.8.2 01:28
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080802/stt0808020127003-n1.htm

 前自民党幹事長の麻生太郎が、首相の福田康夫から電話を受けたのは7月31日夜。山形・かみのやま温泉で妻と2人で静養中のことだった。

 「幹事長を引き受けていただけないですか…」

 福田の言葉に麻生は「何をいきなり…」と口ごもったが、予感はあった。福田の後見人である元首相、森喜朗から内々に打診されていたからだ。その際は「そんな話は軽々にお返事できない」とかわしたが、もはやごまかしは効かない。

 「せっかくのお言葉ですが…」と麻生は断ったが、福田は「何とかお願いしたい」と食い下がった。内閣支持率の低迷が続く中での初めての内閣改造。しかも公明党が年内解散にかじを切り、政権と距離を置き始めており、人事の失敗は許されなかったのだ。

 中でも麻生を政権の中枢に取り込むことは必須要件だった。国民的に認知度が高く人気のある麻生は「自民離れ」を食い止めるにはうってつけだからだ。

 党内情勢を見ても先の総裁選のシコリは大きい。福田陣営は8派連合で麻生包囲網を構築したが、若手・中堅が麻生支持に回り330票対197票まで詰められた。反主流となっても麻生支持層の結束は固く、政権への脅威となっていた。

 一方、麻生も軽々に幹事長を受諾するわけにはいかなかった。これまで「福田内閣とは思想・哲学が違う」と公言しており、自らの支持層の期待を裏切ることになりかねない。次期総裁選をにらむと首相と一蓮托生となる幹事長への就任はリスクが大きい。先の総裁選で福田の出身派閥である町村派に「クーデター説」を流された苦い思い出もある。

 とはいえ、麻生は福田には遺恨はなかった。日銀総裁人事などで福田が苦境に陥った際は自ら電話し励ましたこともあった。
 麻生「こんな話を電話ですべきじゃないですよ」
 福田「では明日11時、公邸でお待ちしています」
 翌1日、首相公邸で待ちかまえた福田は40分あまり麻生を口説いた。
 「自民党は存亡の危機だ。力を貸してほしい。党総裁としてお願いする」
 この殺し文句に麻生はついに折れた。粘り腰の勝利だった。
    × × ×
 麻生の幹事長受諾に安堵した福田だが、党役員人事はギリギリの段階で紛糾した。

 福田は選対委員長の古賀誠と総務会長の二階俊博は代えない腹づもりだった。「道路族」の重鎮2人を味方につけなければ、道路特定財源の一般財源化は不可能だと踏んだからだ。

 だが挙党体制構築には、前回党四役入りを逃した第2派閥の津島派からの起用が不可欠。そう考えた福田は政調会長、谷垣禎一の後任に元文相の保利耕輔を充てた。政策通な上、国対委員長経験者の保利は政調会長に適任に映ったようだ。

 ところが、津島派が森らを介して福田に求めていたのは衆院議運委員長、笹川堯を総務会長に起用することだった。津島派幹部は福田が内諾したとの感触を得ており、津島派事務所には幹部が笹川を囲み、福田の連絡を待っていたのだ。

 福田はギリギリの段階で保利の起用を思いついたようで保利に電話したのは1日昼前。党四役への抜擢を思ってもいなかった保利はゴルフの真っ最中だった。

 しかも保利は郵政民営化で造反し、平成18年暮れに復党後は津島派には戻らず、無派閥だったことも福田は失念していたらしい。
 「保利が党四役に起用されるらしい」
 津島派は騒ぎになった。「保利氏は津島派にはカウントしない。もう倒閣だ」との声も上がった。
 会長の津島雄二は福田に電話で「このままならわが派から閣僚を出さない」と通告。

 結局、福田は笹川を総務会長に起用、二階は閣僚で処遇することになった。二階は福田の要請に応じたが、面白いはずがない。「二階総務会長留任」と報じた新聞社幹部からわびの電話が入ると、二階は仏頂面でこう応じた。
 「気にしなくていい。誰でも間違うような状況だったんだ」
   × × ×
 泥縄の人事は夜まで続いた。福田は谷垣を防衛相に起用を考えたが、拒否されたため、国交相に横滑りになった。このあおりを受け、他の閣僚ポストもコロコロと入れ替わった。大量の入閣待機組の初入閣も見送られた。

 終わってみれば、目新しいのは麻生の起用だけといえなくもない。ある閣僚経験者は首をかしげた。
 「首相は『自前の内閣』を持ちたかっただけなんじゃないか。そもそも総選挙を打つ気はあるのか…」(敬称略)

4225とはずがたり:2008/08/28(木) 02:36:34
斉藤は地味だと思ってたけどホープなんか。。
麻生取り込みでこんなにはしゃがなくても。。公明は麻生幹事長だけで支持率暴騰がりするとでも思ってたのか?それとも禅譲の密約>>4224か?

【薄氷の再出発】(中)太田代表は上機嫌で「グー!」公明の「乱」は小休止
2008.8.2 22:00
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080802/plc0808022202013-n1.htm

 首相、福田康夫にとって初の内閣改造・党役員人事が一段落した1日夜、自民党幹事長に返り咲いた麻生太郎と公明党幹事長の北側一雄はさっそく都内のホテルで酒を酌み交わした。2人は同時期に政調会長を務めた縁もあり親交が深い。北側は前任の伊吹文明とソリが合わなかっただけに店を出るなり「いや〜、自公で話ができるっていうのは本当にいいね!」と満面の笑みを浮かべた。

 公明党代表の太田昭宏も1日昼、麻生の幹事長受諾を聞き、仏頂面を一変させた。衆院廊下の赤絨毯(じゆうたん)で記者にブリーフィング(状況説明)を求められると、お笑いタレント、エド・はるみのまねをして両手の親指を突き出し、「ブリーフィング! グー! グー! グー!」と巨体をうねらせ、2回転した。

 公明首脳2人の機嫌の良さは安堵感の裏返しでもあった。この秋で10年目を迎える自公の連立関係は2週間前から重大な危機を迎えていたからだ。

 「もし麻生さんが幹事長を固辞していたら閣外協力という選択肢もあった」

 ある公明幹部はこう打ち明ける。もしそうなれば自民党は激しく動揺し、福田政権は「風前の灯」となったことは間違いない。そういう意味では改造は成功だったといえる。

 公明党の支持母体である創価学会が来年7月に予定される東京都議選を見据え、「年内解散ありき」と舵(かじ)を切ったのは7月初め。同じころから公明党幹部が相次いで内閣改造に難色を示し始めた。改造すれば福田首相で次期衆院選を戦い、野党に転落する確率が増すからだ。「自民党は危機感が足りない」との声もにわかに強まった。この複数のベクトルは「年内に首相交代」を指していたことは明らかだった。

 公明党側は7月下旬から「内閣改造は首相の専権事項だ」とトーンダウンしたが、矛を収めたわけではなかった。「これ以上圧力をかけると公明党が悪者になってしまう」(公明党幹部)と判断したためであり「やるならばどうぞ」と突き放した態度に変わりはなかった。

 これは新閣僚の「公明党枠」の人選にも如実に表れていた。公明側が当初検討したのは国土交通相の冬柴鉄三の留任だった。先の通常国会で国交省べったりの答弁を繰り返し、党内で不評を買っていた冬柴を留任させれば「内閣を見捨てた」と受け取られることも織り込み済みだった。

 だが、公明党は最終的にホープの一人である政調会長、斉藤鉄夫を環境相に推した。この点からも公明党は今回の改造に「及第点」を付けたといえる。
   × × ×
 公明党が突如始めた政権の「揺さぶり」は改造により小休止したが、自民党ではその余波が依然続いている。

 1日午後の組閣本部設置から閣僚呼び込みまでの一連のセレモニーが1時間近く遅れたのは、総務会長ポストをめぐり、津島派が猛反発して調整に手間取ったこともあるが、実は閣僚の辞退者も相次いでいた。

4226とはずがたり:2008/08/28(木) 02:37:25
>>4224-4226

【薄氷の再出発】(下)ささやかれる「禅譲密約説」の真偽は? 不満くすぶる上げ潮派 守旧派もむくむく
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/166533/
08/03 20:51更新

「そんな恐ろしい質問はやめてくださいよ。いくら官房長官だからといって…」
 内閣改造で官房長官に留任した町村信孝は3日午前、テレビ朝日の「サンデープロジェクト」で司会役の田原総一朗に「解散は福田康夫首相がやるのか?」と責め立てられ、首を左右に傾けた。
「解散は首相の権限だから福田首相が解散することは当然あると思っています。当然あり得ると…。当たり前じゃないですか!」

 内閣改造直後にもかかわらず、解散総選挙に話題が集中するのは、公明党が年内解散に固執していることが大きい。報道各社が内閣改造直後に実施した緊急世論調査では、多くが微増か横ばいにとどまった。麻生太郎の幹事長起用の「効果」は限定的とみえ、与党内には「やはり福田首相では解散できない」(中堅)との声が強まっている。

 そんな中、麻生が幹事長を受諾した際に福田と「禅譲」の密約を交わしたとの説がまことしやかに流れ出した。麻生は「よくあるデマだ」と一笑に付すが、うわさが消えないのは一定の論拠があるからだ。

 福田が解散し、自民党が勝てば福田は当然続投となる。負ければ野党転落だ。つまり首相と一蓮托生の幹事長に就任すれば「次の首相」は遠ざかる。「密約がなければ麻生が幹事長を受けるはずがない」(自民幹部)というわけだ。

 これに対し、麻生シンパは「禅譲密約説は『麻生つぶし』の一環だ」(閣僚経験者)と断じる。密約説の発信源をたどるともっとも「麻生アレルギー」が強い町村派に行き着くからだ。先の総裁選で麻生の「クーデター説」を流布したのも町村派だった。遺恨試合の再燃といえなくもない。

 自民党最大派閥の町村派は福田の出身派閥でもあるが、今回の改造で冷遇され、不満が渦巻いている。福田に改造を勧めてきた元首相の森喜朗が「挙党一致、挙党一致。よかった。よかった…」とだけ語り、ダンマリを決め込んでいることからも明らかだろう。

 加えて町村派は元幹事長、中川秀直が率いる経済成長重視の「上げ潮派」の牙城でもある。福田は今回の改造で経済財政担当相に与謝野馨、財務相に伊吹文明ら「財政規律派」を次々に要職に登用した。上げ潮派の議員からは「改革後退内閣だ」(中堅)との声が出ている。

 中川は2日、自らのホームページにこう記した。
 「首相の『国民目線の改革』とは構造改革との決別ではなく貫徹であると確信している。党内にはそうではないと思って路線転換を求める人がいるかもしれない。これは大きな路線問題だ。大いに論争しなければならない。私の使命は国家戦略本部の提言を『攻めの挙党態勢』の錦の御旗にすべく、自民党内の平場の議論を開始することだ」

 自民党国民戦略本部は上げ潮派の政策提言機関といわれ、「移民1000万人構想」などを次々に打ち出してきた。中川の記述は、党政務調査会を押さえる財政規律派への「戦闘宣言」とも受け取れる。

 一方、上げ潮派でも財政規律派でもなく、旧来の自民党型政治を求める勢力も息を吹き返しつつある。

 選対委員長に留任した古賀誠は3日、地元・福岡県大牟田市で講演し、「福田政権は小泉、安倍両政権で続いた改革のひずみの中で苦労してきた。国民のために政権与党が何をすべきか。社会保障を中心に反省すべきは反省し、国民の信頼に応えることだ」と構造改革路線との決別を宣言。応援に駆けつけた経済産業相の二階俊博は最大限の賛辞を贈った。

 「私は古賀派以上に古賀派だ。こういう本物の政治家をグッと押し上げていこうではありませんか!」
 挙党態勢を目指し、身を削る思いで新たな布陣を敷いた福田だが、長くたまった与党内のひずみはもはや押さえが利きそうにない。地下のマグマは沸々とたぎっている。(石橋文登)


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