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自公保観察スレ
4192
:
とはずがたり
:2008/08/11(月) 23:58:23
読む政治:検証・幹事長人事(その2止) 首相「人事はつくづく大変だ…」
http://mainichi.jp/select/seiji/archive/news/2008/08/04/20080804ddm003010106000c.html
<1面
>>4191
からつづく>
◇首相「人事はつくづく大変だ… 二度としたくないもんだな」
◇渦中、麻生氏「自分も逃げぬ」
◇冷遇、津島派「三役に入れろ」
◇鈴木氏登用「河野氏に配慮」
福田康夫首相は、森喜朗元首相から麻生太郎元外相との話し合いの中身を聞いた。そして首相は7月31日午後、河野洋平衆院議長から聞いた麻生氏が必ず出るという番号に電話をかけた。
首相は「福田内閣に力を貸してほしい」と幹事長就任を要請した。麻生氏は「お目にかかって話を聞かせていただいて、その上でご返事いたします」と答え、会談は8月1日午前11時と決まった。
首相は会談の約束を取り付けたことで、麻生氏が要請を受けると確信し、伊吹文明幹事長(当時)を呼び出した。
31日夕、伊吹氏はJR東京駅から新幹線で選挙区の京都に戻っていた。ところが、首相の急な電話で約30分後には再び、京都駅から新幹線でとんぼ返りすることになった。伊吹氏は、交代を告げられることを察知した。
首相公邸で、首相は伊吹氏に「重要閣僚」での処遇を伝えた。単なる更迭でなく、見返りに重要閣僚での登用という配慮を示された伊吹氏は、淡々と応じた。「挙党体制の確立のためにはいいんじゃないですか」と麻生幹事長起用にも賛成した。
1日午前、首相公邸を訪れた麻生氏はソファのある部屋に通されると、首相を待った。官邸で連絡を受けた首相が速足で公邸に駆け付け、麻生氏に単刀直入に「大変な時期だから協力してほしい」と頭を下げた。覚悟を決めていた麻生氏は「その通りだ。自分も逃げているわけにはいかない。一緒にやりましょう」と応諾した。
同日午後、幹事長就任が決まった麻生氏は森氏に電話し「ありがとうございました。考えてみればこの方がいい」と告げた。
改造名簿には鈴木恒夫文部科学相の名前があった。有名な文教族だが、今期限りの引退を表明しており、登用は異例だ。鈴木氏は河野氏の秘書経験を持つ、同氏の側近中の側近。首相周辺は「麻生幹事長誕生に功労のあった河野氏への配慮だ」と語った。
2日夕、首相公邸。宮中で新閣僚の認証式を終え、政権誕生以来初めての「自前内閣」を発足させた首相は、つぶやいた。
「人事というのはつくづく大変なものだな。二度としたくないもんだな」
◇
麻生氏の幹事長起用は、他の四役人事に影響を及ぼした。
福田首相は人選が佳境にさしかかった1日昼過ぎ、突然電話を受けた。「党三役の1人に、うちの派閥から入れるつもりがないなら、閣僚も一切出しませんよ」。津島派の津島雄二会長からの怒りの声だった。
その直前、津島氏は東京・永田町の派閥事務所に同派幹部らと陣取り、改造の情報収集に当たっていた。党内第2派閥である津島派の目標は、06年9月の安倍晋三政権の発足以来、失われている党三役ポストの回復だ。
要望が受け入れられそうだとの観測が流れた直後、「二階俊博総務会長が留任」「保利耕輔・元自治相を政調会長に起用」とのテレビニュースが流れた。報道が事実なら、すでに麻生太郎幹事長の登用は固まっていたため、三役はすべて埋まったことになる。
保利氏の政調会長起用は、麻生氏の進言によるものだ。保利氏は、今回、消費者行政担当相として入閣した野田聖子氏らとともに、郵政造反復党組の一人。福田内閣の小泉改革路線決別の象徴でもある。
以前は津島派の前身の旧橋本派に所属していたため、首相サイドから「津島派の枠内だ」との話も伝わったが、津島派は「カウントできない」と反発。
津島派副会長の笹川尭元科学技術担当相は1日午後2時ごろ、党本部で「うちは70人いるんだ。冷や飯ばっかり食らわされるんじゃたまったもんじゃない」と記者団に不満を漏らした。
首相は早くから、古賀誠選対委員長と二階氏の留任を決めていた。業界団体にパイプの太い両氏を土台に、麻生氏を選挙の「顔」として前面に出す選挙態勢を描いていたためだ。しかし、同派の激しい抗議を受け入れざるを得なくなり、笹川氏を総務会長にして、二階氏を経済産業相に回すことで手打ちした。
◇
週末、政界には麻生氏が政権を支える代わりに、支持率の低迷が続き、首相が退陣する場合には、麻生氏に禅譲する−−こんな「首相禅譲密約説」も流れた。
こんなうわさを聞いた首相は周囲にこう言った。「僕がそんなこと言ったって。あるわけない。そんな話を誰が流すの」
<この検証は川上克己、中田卓二、犬飼直幸、高山祐が担当しました>
毎日新聞 2008年8月4日 東京朝刊
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