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自公保観察スレ

3640とはずがたり:2007/07/01(日) 21:00:48
>>3639-3640

「憲法を是非、私の内閣として改正を目指して行きたい。当然、参院選でも訴えて参りたい」

1月4日、安倍は年頭記者会見で「内閣として」憲法改正を目指すと宣言した。ただ、憲法99条は公務員の憲法遵守義務を定める。内閣による憲法改正原案の国会提出が認められるかどうかも学説上の論争がある。発言の危うさに気づいたのか、安倍は5月11日の参院憲法調査特別委員会では微妙に軌道修正した。

「私は党総裁としてあるべき新憲法の姿を語ってきた。政党のリーダーとして申し上げる。行政府の長としては憲法を尊重し、遵守していく」

議員立法として提出された国民投票法案の審議の場だった。安倍は首相として答弁したのか、党総裁として語ったのか、判然としなかった。

「人生いろいろ、会社もいろいろ」など永田町の常識を超えた自由奔放な国会答弁を繰り出し、ちゃらんぽらんにも見えた前首相・小泉純一郎。この「変人」は首相と党総裁、公私の峻別には意外に厳格だった。

05年8月19日。小泉は「郵政解散」を受けた衆院選に広島6区から出馬するライブドア社長・堀江貴文(当時)と面会するため、自民党本部に足を運んだ。あえて官邸を避ける配慮だった。ホリエモンを公認も推薦もしなかった。最低限のけじめと危機管理だった。安易に官邸に招き、公認のお墨付きでも与えていたら堀江逮捕で政権は吹っ飛んでいた。

問われる最高権力者の資質

小泉は5年5カ月の首相在任中、ゴルフは封印。私的な会合への出席も極力、控えた。構造改革路線や「官邸主導」の政治手法に批判はあっても、「どす黒いまでの孤独」(外相・麻生太郎)に耐え、やせ我慢とも見えるほど公務に専念してみせた姿が「40%の岩盤」と言われた内閣支持率を維持できた一因だった。

安倍は5月の週末、2週続けて出身校である成蹊大学の卒業30周年記念同窓会と、父・晋太郎の母校、旧制六高の同窓会に顔を出した。ゴルフも解禁した。休日に何をしようが勝手と言いたいのだろうか。3月10日には頑張る地方視察と称してかつての勤務先である神戸製鋼の加古川製鉄所をちゃっかり訪れた。これも公私混同の典型例だ。

「女は産む機械」発言の厚生労働相・柳澤伯夫をかばい続け、「政治とカネ」の疑惑にまみれた松岡をとうとう自殺に追いやった安倍。日ごろのけじめなき言動と通底するのは「情」に名を借りた「身内」への甘さだ。小泉が政権奪取に貢献した外相・田中真紀子を害が大きすぎると見るや切り捨てた非情さとは対照的だ。

「私が任命した大臣なのだから、本人が辞表を持ってこない限り、辞めさせたりはしない」
安倍は松岡や柳澤の更迭論をこう言ってはねつけてきた。任命責任論を警戒、「部下を守る指導者」を演じようとするあまり、最高権力者の最大の武器である人事権を放棄したに等しい。その甘さが結局は松岡も殺した。「郵政解散」を非情と難詰された小泉は「政治の非情が国民にとって温情になる場合もある」と反論した。身内にばかり温情を注ぐ安倍はまるで逆だ。

昨秋の組閣で、塩崎や首相補佐官ら官邸スタッフを「お友達」で固めた時から安倍の器は見えていた。要の官房長官に中曽根康弘は田中角栄の懐刀だった後藤田正晴を、橋本龍太郎は同じ派閥ながら反りの合わなかった「緻密な武闘派」梶山静六をあえて起用し、政権を安定させた。財務省高官は「私的な好き嫌いなど超えて有為の人材を使いこなす度量もなしに、国家は動かせない」と喝破する。

「電球から日本を明るくしよう」
6月5日、朝刊を開いた元秘書官はまたも仰天した。白熱電球を蛍光ランプに取り替える安倍をニッコリ微笑んで見つめる昭恵。CO2削減を訴える政府の全面広告だった。税金を使った政府広報に昭恵が登場するのは「内助の功」ではなく、公私混同にほかならない。そんな区別もわからない宰相の資質こそを参院選で問わねばならない。(敬称略)


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