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選挙結果予想スレ
440
:
とはずがたり
:2003/11/21(金) 14:28
カマ持っておっけけあう…笑>地盤の近い葉梨家と中山家は、「支持者同士がカマを持って追いかけ合ったこともある」といわれるほど激しい対立関係にあった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031111-00000003-mai-l08
[’03衆院選]茨城 キーワードで検証する/1 コスタリカ方式の後始末 /茨城
◇明暗分けた葉梨、中山氏−−今後の調整も波乱含みに
全国的には自民党が後退、民主党の躍進が目立った第43回衆院選。しかし、県内では「自民王国」に揺るぎはなかった。その一方で、固い保守地盤にきしみもみえる。「コスタリカ方式の後始末」「保守分裂」「マニフェスト」「民・由合併」「『中村王国』の今後」の五つのキーワードで、今回の選挙を検証する。
「おやじたちの代はいろいろありましたが、僕と康弘君に関係はありません」。10月28日、取手市内で開かれた葉梨康弘氏の出陣式で、中山一生氏のあいさつに、葉梨氏の支持者は複雑な表情で拍手を送った。葉梨氏は自民党公認で3区から立候補。一方の中山氏は比例代表北関東ブロック単独候補だ。両氏の選挙協力が注目された3区。結果は、明暗がくっきりと分かれた。
中選挙区時代、その両家が95年1月、小選挙区比例代表並立制導入に伴い、選挙ごとに小選挙区と比例代表を交代する「コスタリカ方式」による公認調整で合意した。
その歴史的和解から8年。コスタリカ方式による選挙協力はすでに2回も経験しているとはいえ、両者は一枚岩には程遠い。コスタリカの順番では、今回は中山家が小選挙区立候補の番だった。しかし、党県連選対委による投票という異例の形で葉梨氏公認が決定。協力体制に影を落としていた。
「中山と名前を書いてもらえない。選挙カーでも『比例代表は自民党』としか言えないもどかしさがあった」と中山陣営の選対幹部は選挙戦を振り返る。中山氏の比例順位が絶望的な32位だったこともあり、支持者は党本部のやり方に反発し、後援会「中山会」は、ほとんど眠ったままだった。
さらに、公明党による葉梨氏推薦が、中山陣営を刺激した。公明党は小選挙区で自民党候補を推薦する見返りに、比例代表では公明党応援を要請していた。竜ケ崎市内で行われた葉梨氏の街頭演説では、中山支持者と思われる男性から「比例代表はどうするんだ」と激しいやじが飛んだ。
前回選挙から有権者が約1万人増加した3区は、東京への通勤圏を含み、「茨城都民」と言われる新住民が多い。「風」次第ではどう転ぶか分からない選挙区だけに、確実に票につながる公明党からの推薦は、葉梨氏にとって「のどから手が出る」ほどの支えだった。葉梨陣営幹部は「比例で公明と書いてほしいなんてことは、一言も言っていない」と断言するが、中山陣営の不信感を払拭(ふっしょく)するまでには至らなかった。
葉梨氏の勝利に、陣営幹部は「県連が間に入ってくれて、一体となって選挙することができた」と評価する。しかし、中山陣営の選対本部につめた栗崎邦夫秘書は「今回の選挙で、葉梨、中山の溝がさらに深まったことは間違いない」とつぶやく。さらに中山氏本人も「今後はまだ白紙状態で何も考えていない」とした上で、「今回の選挙で党県連には筋は通した。あとは支持者と相談して決めたい」と口をつぐむ。コスタリカの決着はまだまだ波乱含みだ。=つづく(毎日新聞)
[11月11日19時6分更新
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