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繊維スレッド
386
:
とはずがたり
:2014/07/10(木) 10:32:38
世界遺産は西欧中心史観がちらちら見える気がするから,富岡と同じ機械だからとあんま有り難がる気にはなれないんだけど・・。
>現在の繰糸機は1972年、日産自動車によって製造された
豊田自動織機と同じく自動車メーカーと製糸機の繋がりは深いのか??
酒田の製糸工場で 富岡と同型機今も稼働
http://www.yomiuri.co.jp/local/yamagata/news/20140708-OYTNT50360.html?from=ycont_navr_os
2014年07月09日Tweet
富岡製糸場の繰糸機と同型機が現在も稼働する松岡の工場
国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録された富岡製糸場(群馬県富岡市)に残る繰糸機と同じ型の機械が、酒田市仲町の工場で今も稼働している。航空機内装製造会社「松岡」の施設で、1887年の創業時には、富岡製糸場の女子工員が糸繰りの方法などを指導に訪れたという。氏家昇一社長(67)は「養蚕農家がいて機械が動く限りは続けたい」と話している。
工場に入ると、繰糸機の「カチャン、カチャン」という小気味のよい音と、「ゴー」というモーターの重低音が耳に響く。繭玉を煮る白い湯気が立ちこめ、虫をつぶしたような独特のにおいも漂う。
柔らかくなった繭から糸の先を出すと、繰糸機によって、設定された太さに紡がれていく。途中で糸が切れたり、絡まったりして機械が止まると、従業員が手際良く糸を結び、機械を再始動させる。
工場に来て約30年という佐藤弘子さん(59)は「入社後、少したって今の繰糸機が入った。糸の巻き取りスピードが速くて驚いたのを思い出す。富岡製糸場と同じ機械で仕事ができることを誇りに思う」と話す。
現在の繰糸機は1972年、日産自動車によって製造された。富岡製糸場では87年の操業停止まで稼働していた。現在、松岡の生糸生産量は年間約6トン。ベテランの女性を中心に8人が作業に携わっている。
明治維新後、旧庄内藩の藩士は松林を開墾し、桑の木を植えて養蚕を始めた。同社は現在の鶴岡市で「松岡製糸場」として創業。当時は手作業で糸繰りを行っていたが、次第に機械化が進んでいった。
昭和も年代が進むにつれて、生糸需要の減少や養蚕農家の後継者難などもあり、同社は電子部品や金型製造などに力を入れるようになった。社名から「製糸」が外れたのは、くしくも富岡製糸場が操業を停止したのと同じ87年だ。
現在は、ボーイング787のトイレの部品や調理室設備の生産がメインになっている。生糸の生産工場は往時の3分の1程度に縮小し、売り上げも、同社の年間売上高約18億円の1%程度にとどまるという。
しかも、繰糸機の維持管理は大変だ。故障しても部品の替えがないため、廃業した会社からもらったり、同社の加工技術で新たに作ったりすることもある。糸繰りができる従業員も減ってきている。
それでも生糸生産を続けることについて、氏家社長は「製糸は松岡の原点であり、生糸生産は日本のものづくりの原点でもある。生糸作りがあるからこそ、今、品質の良い製品を作ることができる」と力を込めた。
同社によると、機械による製糸を大規模に行っているのは、ほかに群馬県安中市の「碓氷製糸農業協同組合」があるだけで、同組合でも富岡製糸場と同型機が稼働しているという。
同社では、一般の見学は断っているが、学校などの教育目的であれば受け付けている。問い合わせは、同社(0234・62・2222)へ。
2014年07月09日
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