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繊維スレッド

198荷主研究者:2009/10/31(土) 19:45:27

http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?itemid=18170&catid=346
2009年6月19日付 宮崎日日新聞
メード・イン・延岡3…販売戦略

■生産抑え高価格維持

 機織り業者が400社以上も集中するインドの代表的な長繊維織物の生産基地・スーラット。旭化成の延岡地区工場で生産されるベンベルグ(一般名・キュプラ)の約3割は北九州市・門司港を経由した後、すべてインド北西部にあるこの商業都市に海路で運ばれ、民族衣装のサリーやパンジャビスーツの生地に織られる。

 「日本でいえば、北陸のようなイメージの町だ」。ベンベルグの海外営業を担当する旭化成せんいファイバー・テキスタイル事業部課長の稲村昌彦(52)は説明する。

 スーラットは、やはりシルク生地の産地としての歴史を持ち、旭化成の系列会社でベンベルグ製の高級裏地が織られているかつての絹織物産地・福井、石川県の産業構造と似通う。グループと契約したこの町の約40社が糸から織った布地は10億以上の人口を抱えるインド中に販売され、それぞれの地方が好む色、プリント柄、刺しゅうを施したサリーに変わる。

 旭化成がインド市場を開拓したのは1977(昭和52)年以降だ。シルクに代わる素材の可能性を求め、最適のベンベルグでシェアを広げてきた。91年の湾岸戦争に伴う混乱で一時急減したが、今世紀に入って再び需要が戻った。

    □    ■

 世界市場に唯一残存したベンベルグ製造・販売の独占企業として旭化成は近年、その用途を主力の裏地以外にも拡大してきた。輸出品のうち約6割をインドが占め、残りは裏地やアウターとして使われる。

 高級素材の特性が生かせる分野を選択し集中する戦略には理由がある。主な輸出先であったソビエト連邦の崩壊、バブル経済の崩壊などを経て、ベンベルグの年間生産量は80年代の2万5千トン台から2000年代には1万5千トン台へと縮小。一方でレーヨン、ナイロン、エステルなど多様な繊維素材が市場に出回る中、生産量を抑えて高級素材の地位を守り、高価格を維持することで生き残りを模索しているのだ。

 生産現場である延岡市のベンベルグ工場に課せられた命題はコストの削減だ。最も多い57年に4千人いた工場人員は現在、約400人と10分の1にまで縮小。定員を下げつつ生産体制を維持するため、2000年には旧式の紡糸機をすべて廃棄したりもした。

 工場長の岡村一( はじめ49)は「本来適した用途にベンベルグが限定されるのは歴史の必然だ。量が下がれば、固定費を下げ損益分岐点を見いだしてきた。コスト削減は永遠の課題だ」と話す。(敬称略)

【写真】延岡市のベンベルグ工場内の最新式紡糸機。自社開発による巻き取り速度のスピードアップなどコスト縮減が生産現場の命題だ


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