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繊維スレッド
196
:
荷主研究者
:2009/10/31(土) 19:43:31
http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?itemid=18072&catid=346
2009年6月17日付 宮崎日日新聞
メード・イン・延岡1…祖業
■世界市場に残存、独占
インド人女性がテレビの前の視聴者に向けて「問題 伝統を、ただの過去にしない」と書かれたメッセージ性の強い日本語のボードを示す。まとっている色鮮やかな民族衣装は、旭化成の再生繊維・ベンベルグ(一般名・キュプラ)の糸から生まれたサリーだ。
昨年3月から全国に流れるグループのコマーシャルからは、1931(昭和6)年4月に延岡で製造を開始して以来、ほとんど赤字を出したことがない祖業へのプライドがにじむ。
「グローバル化した社業を内外に示すのが広告の狙いだ」。広報室長の山崎真人(49)が語るように、ベンベルグ事業は生産開始から80年の間に同業他社が次々と淘汰(とうた)され、旭化成だけがグローバル市場に残存するモノポリー(独占)企業になった。その年間生産量1万4千トンのうち約5割は海外への輸出が占める。
特にコマーシャルに登場するインド向けの民族衣装は、急激な現地の経済発展とともに需要が右肩上がりになり、総輸出量の6割に及ぶ。事業を担う旭化成せんいファイバー・テキスタイル事業部長の成松正人(52)は「富裕層の拡大で需要の絶対人口が伸びている」とみる。
細く、強く、吸湿性に富み、絹に近い肌触りから業界では高級素材に位置付けられるベンベルグの強みが、原料価格が他の繊維と比べると高価でコスト競争ではかなわない弱みをカバーする。
□ ■
ベンベルグ発祥の歴史をさかのぼると、旭化成の前身である日本窒素肥料創業者の野口遵が23(大正12)年10月、国内初の工業化に成功した空気中の窒素と水によるアンモニア合成に行き着く。
安価なアンモニアの合成は化学肥料の大量生産の道を開いた。しかし数年後には肥料の主要生産拠点が水俣市や朝鮮半島へと移り、延岡で生まれるアンモニアの有効利用が急務となる。そうした状況下で、製造過程でアンモニアを必要とするベンベルグ工場が立地することになった。これを契機に繊維と原料事業が集中した延岡は旭化成発祥の地となるのである。
操業以来、その歴史は用途開発の連続でもあった。戦前は着物、シャツ、ネクタイなどあらゆる衣料品に加工されていたが、戦後間もない53年に生まれたヒット商品が、その後に世界市場を独占するベンベルグ事業の命運を決定づけた。
ファイバー・テキスタイル事業部長の成松は「これがあったから圧倒的に世の中の人が(旭化成のベンベルグを)認知した」と言う。それは洋服の裏地との出合いだったのである。(敬称略)
▽
原点ともいえるベンベルグをはじめとする延岡発祥の事業に視点を置き、さらなる世界企業への構造転換を模索する旭化成の戦略を追う。最終部は題して「メード・イン・延岡」。(18面に特集)
【写真】ベンベルグで作られたサリーを着た女性が出演するテレビCM。80年間ほとんど赤字を出したことがない祖業へのプライドがにじむ
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