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繊維スレッド
191
:
荷主研究者
:2009/10/31(土) 18:52:24
http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?itemid=13723&catid=303
2008年11月14日付 宮崎日日新聞
選択と集中 4…新工場進出
■投資を重ね最新鋭へ
ピーク時の1937(昭和12)年に従業員約9千人を抱え、旭化成の基礎を築く原動力となった岡富地区(延岡市)の旧レーヨン工場。祖業とも言える事業の撤収は、会社が変わる決意を示すような大きな転換点だった。
工場最後の管理室長として撤収に関わった山形憲二郎(55)=現・旭化成情報システム部部長=は「全社的な応援態勢があった」と振り返る。会社は社員224人全員の再配置を決定した。できるだけ延岡にとどまれるよう、40人規模の雇用先として同じ繊維事業のエルタス工場が誘致された。
大分など県外工場への異動も必要ではあったが、延岡市内の工場は受け皿として次々と名乗りを上げた。撤収を終えた岡富地区にはその後、わずか数年間に投資が相次ぎ、全く性質の異なる工場群に生まれ変わることになる。
□ ■
不採算事業の整理を終えた旭化成は、2003年からの中期経営計画で国際競争力のある事業への投資を開始。戦略投資1千億円が「医療」「エレクトロニクス」「環境・エネルギー」の3市場に投下されることになった。
引き続き延岡支社の企画管理部長として事業再構築に関わった山形からみて、レーヨン跡地は「一等地」だった。一部は別の繊維工場が進出していたが、間口100メートル、奥行き300メートルの工場3棟はほぼすべて空いていた。古い工場を取り壊す費用を差し引いても、水や電力、蒸気などの用役を自前で調達できる岡富地区の利点は大きかった。
会社は03年、延岡の恒富地区で生産していたメディカル部門の人工腎臓工場の岡富地区進出を決定。製造ラインの増設を重ね、現在までの投資総額は約150億円にものぼる。
さらに、レーヨン跡地周辺にも、高密度集積回路(LSI)や液晶パネルの製造工程でほこりの混入を防ぐ保護膜「ペリクル」の製造工場が03年に進出し、07年にはライン増設に着手。世界のライバル企業と戦うメディカル、エレクトロニクスの最新鋭機器を備えた工場群が出現した。
一方、繊維事業の設備メンテナンスや部品納入を長年担ってきた地場業者は、その変化についていけなかった。旭化成の業態が変化し、設備や部品の納入の発注は、市外に流出する結果となった。
地場企業が集まる延岡鐵工団地(大武町)協同組合理事長を務める吉玉典生(57)は「新たな分野で戦える技術が地元になかった」と認める。グローバル化する企業との新たな協力関係を築くための試行錯誤を続ける。(敬称略)
【写真】解体が進む旭化成の旧レーヨン工場。跡地に成長著しい人工腎臓工場などが次々と進出している
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