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日本の城郭
97
:
荷主研究者
:2010/03/14(日) 17:41:00
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki2/218615_all.html
2010年03/03 14:31 北海道新聞
松前城天守閣の復元を検討 町、可能性審議し年内結論
(上)現在の「復興天守」(松前城資料館)。左が国指定重要文化財の「本丸御(ほんまるご)門」(下)松前城全体の想像図。中央の三層建築が天守閣。周囲には御殿や土蔵、堀や多数の門などが配置されている
【松前】1949年(昭和24年)に焼失した道内唯一の日本式城郭「松前城(福山城)」の天守閣完全復元の可能性について、町が検討に入る方針を固めた。前田一男町長が8日、議会で表明する。現在の鉄筋コンクリート(RC)建築が老朽化したためで、焼失前の木造建築復元か、RC構造のまま補修かを選択する見通し。5月にも史跡福山城保存整備審議会で具体的な調査検討を始め、年内に答申を得て町の最終結論を出したい考えだ。
松前城の中核、天守閣は1854年(安政元年)に築造された。当時は地上3階木造しっくい造り。焼失後、現在のRC地上3階地下1階、延べ129平方メートルの「復興天守」が完成したのは1960年。外観はほぼ同じだが、部材や内部構造は全く異なる。
現在は壁が劣化、屋根の銅板がはがれるなど老朽化が目立ち、町は「ほぼ耐用年数の築50年を迎えた今年、本格的な整備を考えざるを得ない」と判断。天守閣を中心とした城と寺町を含む約13ヘクタールの史跡全体の整備について近く文化庁の了承を求める方針だ。
天守閣整備の本格検討は2度目で、初回は焼失の直前だった。その際に作成した実測図と詳細メモが保存されていることが昨年までに判明。柱の位置や屋根のこう配など詳しい情報も得られた。国宝指定時の外観写真なども見つかった。
また、城の石垣などに使う緑色凝灰岩を切り出した江戸時代の石切り遺構(町内神明)が2005年に発見された。調査で保存区域と採石区域の区分が進み、城内遺構の復元に石を使うことが可能になった。
松前の歴史の象徴である天守閣の復元は、半世紀にわたる町民の悲願。観光振興の起爆剤にもなる。
町と町教委はこれらの資料や素材を駆使すれば復元は可能とみているが、文化庁が実際に復元を了承するかどうかは未定だ。
また、復元には巨額の資金が必要。専門家の間では、設計費を除いた建築費だけで20億円前後との見方もある。
国や道の補助額、RCで補修の場合との比較など詳細な検討はこれからだが、大規模整備に向け、まずは復元可能性を探るとともに復元の意義と負担を町民がどうみるか、今後の議論が注目される。(久田徳二)
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