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日本の城郭

94荷主研究者:2010/03/14(日) 15:20:37

http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20100304/CK2010030402000168.html
2010年3月4日 中日新聞
浜松市が安土桃山の城門確認 二俣城・本丸中仕切門の規模を確定

 浜松市は3日、二俣城跡(天竜区)の発掘調査で、本丸中仕切門(なかじきりもん)の規模を確定したと発表した。建物の柱を支えた礎石4カ所の間隔から、門の大きさは東西2・1メートル、南北3・2メートルという。安土桃山時代の瓦も出土しており、豊臣家配下だった堀尾氏の領有時代に瓦ぶき城門が存在したとみている。 (後藤隆行)

 堀尾氏時代の改修の跡が発掘調査で確認されたのは初めて。生涯学習課の辰巳均文化財担当課長は「石垣を持つ城の初期の形態とみられ、近世城郭の流れにつながる」と話している。6日に現地説明会を開く。

 同課によると、中仕切門は二の丸と本丸をつなぐ通路に位置し、昨年の発掘調査で北側の礎石2カ所を確認。1日からの南側の調査では、礎石と、礎石の抜き取り穴が見つかった。門の両側に石垣を築いたことも確認した。丸瓦や平瓦が多く出土し、市は瓦ぶきの城門とみている。

 築城は16世紀中ごろと伝えられ、今川氏や徳川氏が形づくったが、徳川氏のころは土塁をめぐらしていた。その後の堀尾氏時代(1590〜1600年)の改修は、現存する天守台が物語る程度だった。居城したのは浜松城主だった堀尾吉晴の弟、宗光という。

 現地説明会は、午前10時と午後1時30分の2回。雨天決行。


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