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日本の城郭
88
:
荷主研究者
:2010/02/24(水) 22:52:53
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2010021902000150.html?ref=related
2010年2月19日 朝刊 中日新聞
信長居館庭園に室町文化の香り 池や水溜め遺構発見
戦国武将織田信長が拠点とした岐阜城のふもとの居館跡を調査している岐阜市教育委員会は18日、居館付近にあったとされる庭園の池や手水(ちょうず)とみられる水溜(た)めの遺構が見つかったと発表した。室町時代の将軍邸のものと類似しており、市教委は「革新的なイメージが強かった信長が、室町将軍家の伝統や権威を継承しようとしていたことが見て取れる貴重な発見」と指摘している。
発掘場所は岐阜市大宮町の岐阜公園内で、居館跡の中心部とみられる場所から東へ約100メートルの金華山山麓(さんろく)。出土した陶磁器の形などから、信長が岐阜へ入城した1567年から、廃城となる1601年までの遺構とみられる。
市教委によると、池は約5メートル四方で深さ30センチ。石組みで護岸され、水が漏れないよう側面や底が粘土で固められている。池底には砂や小石が敷かれており、1569年に居館を訪れたポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスの手記につづられている池の記載とも合致する。
水溜めは池のすぐ南側の約1メートル四方。石で丸く周囲を囲って水をためる形状。居館の奥に手水を配置した構造が、将軍足利義政の別荘「東山殿」(京都市)と似ているという。このほか、巨石を用いた石組みや石垣なども出土した。
市教委は「信長は、将軍足利義昭のために何度も京都に足を運び、義昭の邸宅建造に現場で指揮を執ったこともある。このときに学んだ室町文化を自らの居館にも取り入れたのでは」と分析した。
京都造形芸術大の仲隆裕教授(日本庭園史)は「今回初めて姿を現した庭園からは、日本の頂点を目指した信長の強い意志や野望を感じる」と話した。
現地説明会は2月27日午後零時半から3時まで。公園内のロープウエー乗り場の奥にある明治大帝像の前に集合。小雨決行。
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