したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

日本の城郭

82荷主研究者:2010/02/01(月) 01:15:21

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/143592
2009年12月30日 09:37 西日本新聞
原城抜け穴 謎解明へ 天草四郎 脱出探った? 世界遺産登録見据え調査 南島原市 新年度から

原城の本丸があったがけの側面に残る「抜け穴」の出入り口。現在は土のうを積んで立ち入りを禁止している=長崎県南島原市

 長崎県南島原市は、江戸時代最大のキリシタン一揆「島原の乱」(1637−38年)で天草四郎率いる一揆軍が立てこもった国指定史跡「原城跡」(同市南有馬町)に残る「抜け穴」の発掘調査に新年度から着手する。抜け穴は落城時に一揆軍の一部が脱出に使ったとの説もあり、公的調査は初めて。乱をめぐる謎の解明を図るとともに、世界遺産登録をにらんだ城跡の整備にも反映させる。

 抜け穴は、有明海に面したがけの上にあった同城本丸の地下に存在。干潮時にしか近づけないがけの側面(海岸から高さ約6メートル)に、出入り口(高さ約1・4メートル、幅約1メートル)が残っている。

 穴の存在は古くから知られていたが、国史跡指定(1938年)により発掘を伴う調査も制約されており、建造時期や目的は不明。63年に地元郷土史家グループが測量調査などを行った直後、豪雨で内部が崩落し、人が入れなくなった。この調査で出入り口から約30メートル奥に3畳ほどの空間があることが確認され、中には乱当時のものとみられる瓦や刀片もあったという。

 今年9月、東海大の研究グループの小型ロボットカメラ調査で、これまで判明していた部分より奥に空間があることが判明。空間には石で人為的に埋めた形跡があり、一揆軍が埋めたか、幕府軍が埋めたかを調べることで、穴の用途解明の手掛かりとなる可能性も出ている。

 同城跡は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の一つとして世界遺産登録を目指しており、同市は整備計画を策定中。松島世佳(つぐよし)市長は年明け、文化庁に発掘許可を申請する方針で「空間はキリシタンの祈りの部屋という説もある。当時の信仰の様子も分かるのではないか」と期待している。

=2009/12/30付 西日本新聞朝刊=


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板