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日本の城郭

58荷主研究者:2009/07/12(日) 20:43:22

http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20090610/CK2009061002000192.html
2009年6月10日 中日新聞
浜松城の天守門、富士見櫓復元へ 年内に発掘調査で確認

イメージ図・天守門

 徳川家康の入城で知られる浜松城(浜松市中区元城町)で、天守門と富士見櫓(やぐら)の復元が2012年度にも始まる。残された資料に加え、発掘調査によって建築状況を確認し、往時の姿を史実に忠実に再建する方針。市が9日の市議会5月定例会で、柳川樹一郎氏(自民党浜松)の一般質問に答えた。

 市は学識者の意見を聞き、浜松城公園の歴史ゾーンを整備する基本構想を策定。廃城令が出た1873(明治6)年ごろに存在した建造物の復元を目指し、資料が残る天守門や富士見櫓を優先することにした。

 天守閣に対し、天守門は東側、富士見櫓はやや離れた北東に位置していた。市公園課によると、年内に発掘調査が始まり、10年度に基本計画の策定、11年度に実施設計を予定している。

イメージ図・富士見櫓

 市の文化財担当者によると、天守門と富士見櫓は少なくとも17世紀後半(江戸時代前期)の「遠州浜松城絵図」に描かれており、それ以降の絵図にも記されている。

 さらに、城内の本格的な発掘調査は初めてとみられ、城の成り立ちを知る上で注目されそうだ。発掘状況によっては着工時期が遅れる可能性もある。

 一方、待望論のある天守閣の木造再建は現存する資料がなく、市は天守門などを復元後、機運の高まりをみて検討する考え。

 浜松城 戦国時代の1570(元亀元)年、徳川家康が岡崎から本拠を移し、増築を重ねた。家康が江戸に移った後、豊臣秀吉配下の堀尾氏が天守閣を建造したとされるが、江戸時代の絵図に天守閣は描かれていない。幕府の要職に就いた城主が多く、出世城とも呼ばれた。現在の天守閣は1958(昭和33)年、鉄筋造りで建設された。


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